生きる力舞台で共鳴。。。
 劇作家の山崎正和さんが、あくなき文化への執着というタイトルで 震災10年を語るというコラムに紹介されていました。

 −西宮の自宅でゆれを感じた。

 あの日、風邪をひき、39度の熱でもうろうとしていて最初の一撃には気付かなかった。小刻みな横揺れに変わり、隣の部屋で戸棚やガラス戸がひっくり返る音を聞いて初めて地震と分かった。最初に思ったのは「東京が壊滅した」ということ。それぐらい阪神間は地震とは無縁だと思っていた。外へ出て夙川の上流から見下ろすと、何本もの煙が上がっていた。翌日、西宮北口まであるき、実家がある比叡山のふもとへ。電車で武庫川を渡ったとたん、何もなかったような景色が広がり、キツネにつままれたような気がした。

 −まず取り掛かったしごとは?

 真っ先に頭をよぎったのは、被災地で文化活動に否定的な考え方が広がるのではないか、ということだった。関東大震災前の日本は、東京を中心に文化が成熟し、近代化への道筋ができていった時期、そこへ起きた震災は、自由やぜいたくへの天罰だと受け止め、質実剛健を目指そうという反文化的な動きが出てきた。

 阪神・淡路大震災後の関西でもすでに、テレビ番組や行事を自粛する動きが出ていた。文化の宝庫である兵庫で、生活の回復に紛れて、文化活動の自粛が起こってはならない。危機感を持った私は、「兵庫でおにぎり(生活復興)か文化かといった二者択一は間違っている」とした考えをさまざまな形で訴え始めた。

 −県の「ひょうご舞台芸術」再開もその一つ。

 がれきの中で、演劇を再興しようとすぐに動きだした。このままでは資金が足りないので東西の企業を回り頭を下げた。景気が悪いうえ、どの企業も何らかの震災被害を受けていた。各社が100万円ずつを負担してくれ、何とか公演にこぎつけた。

 −そして6月、震災後の神戸で初めて、ユダヤ人居住区を描いた「ゲットー」を上演した。

 リトアニア居住区で、「あしたはナチスにに殺されるかもしれない」という極限状態に立たされながら、ユダヤ人たちが劇団を作り公演を続けるというスケールの大きい芝居。

 「墓場に劇場は必要か」

 そんなせりふがあった。神戸でも、がれきの下から死体が発見される、まさに墓場を思わせる状況があった。そのせりふはそのまま、私から観客への問いかけであり、一つのかけでもあった。

 役者も尋常ならぬ気合で芝居に臨んだ。けいこ場で私は言った。「上演には県から資金が出ている。震災で亡くなった方々が払った税金も入っているのだ」と。震災で家族を亡くした観客からは、「今まで、どんな面白いことにも笑えなかったが、この悲惨な芝居を見て目からうろこが落ちた。まひしていた完成が戻った」という感想を頂いた。生きる力への共鳴が共感を呼んだ。かけに勝ったと思った。

 ー神戸にあこがれていた。

 京都人は海にあこがれるから。震災前の神戸は製鉄所や造船所などの重厚長大産業から、ファッションや食、観光などの文化産業へ転換する「時代の曲がり角」だった。歴史をひもといてみても。文明が変化するときに大地震が起こることが多い。しかし、今振り返ると、神戸は思った程の変化を遂げなかった。バブルがはじけ、全国的な不況が襲ったからだ。そうでなければ、復興の足取りも軽く、ファッションやグルメ産業も飛躍的に伸びただろう。

 一方で、まちの風景は震災前よりむしろよくなった。緑の多さは変わらず、まちの美観や落ち着きは守られた。人口や鉄道の乗降客数も完全に戻っている。個人が苦労されたこともあり、新しい市民のまちができたという気がする。

 −震災から10年を迎える来年の秋、芸術顧問を務める「県芸術文化センター」がオープンする。

 一時はもうだめかと思っていただけに感慨深い。規模は縮小されたが、コンパクトになっても使う頻度が高い方がよい。演劇や音楽は、コーヒーやたばこと同じで一口目は苦いもの。理解には時間が必要だ。よい演劇人を一人でも多くつくる拠点になればと思う。。。

 廃墟の「極限」で求めるもの 取材を終えて。。。

 山崎さんいとって文化とはなにか。「人間が人間であること」との答えが返ってきた。

 終戦の旧満州(中国東北部)。10代初めの少年は、父の亡がらを有り合わせの木箱に入れ、その上に座り馬車で運んだ。「それでも葬式は営んだ。でなければ人間じゃなくなるから」。まちには弔えなかった屍が積み重なっていた。

 廃墟の中の中学校で、先生が手回しの蓄音機でかけてくれたレコードの音が忘れられないという。生まれて初めて聴いたドボルザークの「新世界」。鳥肌が立ち、震えた。

 震災で廃墟となったまちを見たとき、山崎さんの心は、少年時代の中国をさまよったのではないか。「人は極限の中で、返って文化に固執する」。その思いは、廃墟の中で自らを支えたものへの切望ではなかったか。(阪神総局・小西博美)

 音楽に限らず、文化のもたらす働きって、こういうことなんだ!と改めてかんがえさせられましたので、そのまま引用させて頂きました。