学問に厳しく人に優しく。。。
 というタイトルで、言語学者・金田一春彦氏を悼む として、飛田良文氏が、データと分析を重視 というコラムを載せていらっしゃったので。。。

 金田一春彦先生に最後にお目にかかったのは、3月も末の桜が満開の国際基督教大学の構内であった。「飛田さーん」と声を掛けられて振り返るとご長男の秀穂さんが運転する車で、先生はその助手席に座っておられた。大学の桜を鑑賞においでになったのだ。元気なご様子だったので突然の訃報に接し、驚いた。

 春彦先生の活躍された行動範囲は方言研究、教科書、平曲、唱歌と広いが、私は国語学会と辞典編集とでご縁があった。約40年前、小学館が日本最大の国語辞典「日本国語大辞典」(全二十巻)を計画したとき、春彦先生は私を音韻部会のメンバーに加えてくださったのである。

 当時、私は東北大学日本文化研究所の助手で、仙台に住んでいた。編集会議が終ると「東京は久しぶりだろう」と言って完成したばかりの高速道路を走って東京の夜景を見せてくださった。光り輝くネオンの風景とともに先生の優しいお気持ちが記憶に残っている。

 春彦先生は国語学会の代表理事に就任されると、学会として永遠に残る仕事がしたいと言われ、日本語に関するすべての論文を集め、日本語研究論文目録を作成しようと提案された。そして私を編集委員にえらび、その事務局長に指名された。

 今日、国語史(築島裕氏担当)と音韻(秋永一枝氏担当)の部門は出版され、他の部門のデータも国立国語研究所のコンピューターに収められている。その遠大な企画力と基礎データを大切にされる精神は、先生の学問観として強い印象を残している。

 さらに、見坊豪紀主幹の要請を受け、私が「三省堂国語辞典」第四版の編集に加わることになったとき、ここでも編者のお一人に春彦先生がおられた。著名な先生方の前で緊張していた私に、先生はにこにこしながら話し掛けてくださった。先生は学問には厳しかったが、人の心を和ませる包容力のある方でもあった。

 学会の仕事でご自宅にうかがったときは、書斎に段ボールの箱が十数個並んでいた。「何だか分かるかい」と聞かれて、はてなと困っていると。「『日本語』(岩波新書)の各章ごとの資料だよ」と教えてくださった。日本語の特質を述べたベストセラーを刊行された裏に、多大な苦労と努力が隠れていたのだ。

 先生の専門分野で特筆すべきことは。古代から現代に至る日本語のアクセントの構築で、�@アクセントの山は後へ後へと移る傾向があること�A低平型の場合には前の部分が高まってくることがあるーの二法則を発見されたことである。

 今、春彦先生は後輩の研究者たちに、「確かなデータを集め分析をせよ」と天国から言っておられるように感じられてならない。学恩に感謝し、心からご冥福をお祈りする次第である。

 (前国際基督教大大学院教授)。。。

 お優しい人となりが伝わって来そうな。。。そんな気がして、そのまま書かせて頂きました。。。ご冥福を心からお祈りします。。。