イラク派遣と日米安保。。。
 と題して、後藤田正晴氏のコメントが。「口約束優先浅慮を憂う。。。自衛隊、もっと大事に」というタイトルが目に飛び込んで来た。

 イラクへの自衛隊派遣が国会でしょうにんされた。ブッシュ米大統領はイラクに大量破壊兵器があるとか国際テロ組織アルカイダとつながりがあると指摘していたが、両方とも現時点ではつくられた疑いの濃い情報によって判断され、正当化された戦争との疑念が残る。大量破壊兵器の国連による操作の終結を待たずに行われたイラク戦争は、国際社会のルールを無視した単独主義的な先制攻撃と言わざるを得ない。

 ブッシュ大統領は、大規模戦闘の終結を宣言したものの、その後のイラク国内の激しい抵抗を予測しなかった。小泉純一郎首相も中東情勢全般がどうなるか。中東外交をどうすべきかを熟慮したのではなく、政府の決定は首相の「過早な(早過ぎた)」大統領への『公約』(口約束)を実現することが先であって、日米関係を円滑にすることが目的だった。

 政府は専守防衛の自衛隊派遣の目的として人道支援と復旧、国際協調、日米同盟を挙げたが、本当に国際協調と言えるのか。世界平和にいちばん責任を負うべきなのは国連だが、国連と米軍の単独武力行使の間で意見が一致しているとは思えない。国際協調というなら実質的に力があるのは米国だが、ドイツ、フランス、ロシアや中国が参加しておらず国際協調も言葉どおりになっていない。

 一方、日米同盟は軍事同盟で、日米安全保障条約締結以来五十年、有効に作用してきた。しかし、条約は日本と極東地域の安全にかかわる事態に限られる。そのために国民に負担が大きい基地も提供している。小泉首相は北朝鮮問題も指摘したが、北朝鮮問題は日米安保そのものの問題であって、日米安保とは違いイラクへの武装部隊派遣の有無によってその信頼性が揺らぐ程度の軽いものなのか。ならば日米安保はないに等しいのではないか。

 日米安保を理由に、大義が明らかでなく、日本から何千キロも離れた国での米国の戦争に、専守防衛を任務とする自衛隊を派遣したのは適切な判断だったのか。国民の半数は疑問を持っているのではないか。

 国会の論争も派遣先の自衛隊の安全の有無が主題とされた面が強いが、武装部隊の海外派遣の大義の存否が問題であって、危険の有無と、それへの対応は大事であっても議論としては二次的であるべきだろう。今回の大義は何か、それを支持した首相の大義について、どこまで真剣に議論されたかは疑問が残る。

 政府は「戦闘地域に出さない」「武力行使はしない」と繰り返した、憲法上もその通りだが、武力行使とは何か、危険な戦闘地域とはどこか、部隊として正当防衛はっできるが、武器使用基準は何かなどについて、政府の答弁は質問でも明らかになっていない。

 装甲車を持っていかなければならないなら、まさしく戦闘地域に行くことになるのではないか。その意味では国会でも十分議論が尽くされておらず、なし崩しになっている、しかも派遣される自衛隊員の立場を誰が考えているのか。みんな使命感を持ってやってくれているが家族が送り出すときに涙をながしている。命令され、使われる人の立場のを考えて「もっと自衛隊を大事にしなさい。と言いたい。

 イラク復興支援特別措置法は期限を区切っているが、延長の繰り返しになる恐れがある。

 米国は「テロに屈してはならない」と言っているが、イラク国内でレジスタンスに発展すれば抵抗勢力に正当性があるという議論が出てくる。そうしてはならないからこそ大義がひつようで、深い洞察をして慎重にも慎重を期して誤りなきよう日本の対応を決めてほしかった。。。

 ↑は2月22日付け地元紙コラム『現論』によるものです。。。

 加えて、『撤退は困難』として、

 自衛隊員に不足の事態が起きても、いったん自衛隊を派遣したからにはよほどのことがない限り撤退はできない。国際社会のなかで、日本の国の資質が問われるからだ。政府は派遣の決定よりも引き揚げの決定が難しいことを知るべきだ。戦い始めるときには「何とかなる」と思って安易に踏み切るが、いつになれば引き揚げられるか、その判断はむつかしい。国際平和維持活動(PKO)も同じで、ゴラン高原や、東ティモールでの活動も一度出れば簡単には戻れない。。。

 という文章に続いて、イラク復興支援特別措置法は。。。とあったのを順番変えてしまいましたが。。。

 1996年に政界を引退されましたが、徳島県生まれで、官房長官、副総理兼法相などを歴任された方でもあります。