2011年11月の記事


「宍道湖の夕日」
<<日本>>--松江--


松江大橋を手前に、宍道湖に沈もうとしている夕日は、雲の合間から実に綺麗であった。

羽田から空路米子空港へ着いたのは、3時半頃であった。

婿さんは外資系企業の海外担当なので、アメリカ、イギリス、東南アジアと海外出張が多いので、マイレッジポイントが沢山有り、家族5人の飛行機代は、全てそれで賄える。

面白いのは、嘗ての米子空港は、米子鬼太郎空港と名前が替わっていた事である。

ゲゲゲの鬼太郎の故郷が米子である事を初めて知った。

婿さんの運転するレンタカーで、鬼太郎ロードなどを見学し、シジミで有名な宍道湖畔に着いた時は、すっかり夕方になっていた。

我々の宿泊するホテル一畑は、宍道湖に面した見晴らしの良い、豪華なホテルであった。

今回の旅行は、全て婿さんの企画であり、実に気楽なお任せスタイルの里帰り旅行で、彼の母上共々感謝の限りであった。
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「里帰り」
<<日本>>--松江--


長女の婿さんの実家、島根県松江に孫の里帰りをして、歓待を受けた時の記念撮影。

今年1月1日に誕生した孫を連れて、一家で出掛け、暫く家を留守にしてしまった。

その間すっかりページのメンテを怠った罪滅ぼしに、その時の記念写真を載せた次第である。

孫の里帰りも兼ねて、婿さんに鳥取島根の観光を、レンタカーで案内してもらった。

鳥取米子では、ゲゲゲの喜太郎ロード、松江ではシジミで有名な宍道湖、松江城とその周りを巡る堀川めぐり、出雲大社、そして玉造温泉など、久々に国内旅行を楽しんだ。

実家の母上とその娘さんには、蟹を中心にした様々な料理の振る舞いをしてもらった。

断っておくが、私の隣りに居るのは、婿さんの母上であり、女房ではなく娘の隣に居るのが愚妻である。
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「1号坑兵馬俑」
<<中国>>--西安--


巨大なドーム状の展示館の中に、発掘された当時と同じように、整然と並ぶ兵馬俑の光景。

順序を追って3号坑から順番に、坑の状況を載せたいが、また暫く家を留守にするので、1号坑の壮大な発掘現場を暫く載せる事とした。

中国全土を統一した秦の始皇帝は、自分が死亡した時に、皇帝の死去に殉じて共に死を選ぶ殉死者を防止するために、俑(等身大の人形)を作らせ、それらを埋葬することによって、殉死を禁止した。

何十万とも言われる上級兵士を殉死させると、秦の兵力が減退し、他国に攻め入られる事を恐れたからである。

この1号坑の中に、修復されて並べられている兵馬俑だけでも、約2000体有るが、未発掘の物を入れると6000体有るといわれている。

しかもこれらの人物の顔が、一つとして同じ物が無いというから、その作成過程は、どんなものであったか、想像が付かない。

日本の国が、戦国時代に各大名が、覇を競っていた武士の数とは桁違いの規模である。

それが紀元前の時代の話だから、中国の歴史の古さと、当時の文化の発達振りには圧倒される。
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「馬車青銅博物館②」
<<中国>>--西安--


前出した馬車を真横から撮った一枚。

これを見ても御者の姿が、如何に精巧に作られているかが分かるであろう。

此処の展示館は、土を焼いた兵馬俑ではなく、青銅で作られた始皇帝の腹蔵品として出土した物で、ツタンカーメンの墓などと同じように、金銀や宝石類が同時に発掘されたのだそうで、特別な物を展示している博物館なのである。

写真などで知られている、沢山の兵馬俑が並んでいる館は、また別に有るのである。

この馬車青銅器博物館の他に、何と1号坑から6号坑まで有り、この内見学可能なのは1号坑から3号坑までである。

それぞれの坑は別棟になっており、1号坑だけでも6000体の兵馬俑が埋葬されているといい、既に発掘され修復されている2000体の人物像が、埋葬時と同じように、始皇帝の西稜墓の有る東を向いて整然と並んでいる。

その様子は後日載せるが、現在も発掘作業が行われており、既に8000体が確認されているが、一体どれくらいの数の兵馬俑が有るかは未知数だと言うから驚きである。

ちなみに俑とは中国語で人形の意味である。
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「馬車青銅博物館」
<<中国>>--西安--


博物館地下に有る展示室に飾られた、貴重な出土品の光景。

これは出土した物の中でも、相当価値の有る青銅で作られた騎馬と御者の様子であり、かなりリアルに迫ってくる。

こんな精巧な物が、紀元前210年頃に作られたのだから驚きである。

流石世界三大文明の中の、中国文明発祥の地の物と言えるだろう。

この馬車全体は青銅で作られており、どうして太古の昔にこんなに精巧に作られるのか、その製法を知りたいものである。

出土品の下に中国語で説明文が有るが、チンプンカンであるし、暗い館内は凄い人ごみで、ガイドの高さんも何処に行ったか分からず、撮影するのがやっとであった。

最初、ガラス越しにこの作品をデジカメで撮ったが、ガラスにフラッシュが反射してしまい、失敗。

ビデオカメラのストロボライトを点灯し、デジカメ機能を使って、やっとこの展示物を撮影する事が出来た。
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「兵馬俑博物館構内②」
<<中国>>--西安--


博物館入口をズームアップしてみると、色々な事が分かった来た。

二つのグループがガイドの説明を受けている脇の街灯は、どうやらソーラーパネルで明りが灯るようになっているらしい。

日本の博物館でも、館内などの明りを、ソーラーパネルで賄っている所は有るのだろうか。

そういえば、正面の出土品を集めた館内は、意識的にかどうか分からぬが館内がかなり暗く、いきなり地下に降りるようになっていた。

地下に降りると、いきなりガラスケースの中に、出土品が照明に照らされて展示されている。

それらの展示品のすばらしさに、ほとんどの観光客が、ストロボを炊いて撮影していたが、多分ガラスが反射して肝心の被写体が撮れなかったのではなかろうか。

展示品の置かれている大きなガラスの周りには、沢山の見物客が押し合いへし合い状態で、ゆっくり見学できる有様ではなかった。

日本人観光客は、大人しいから、中国人パワーに圧倒されて、見学するのに苦労したものである。
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「兵馬俑博物館構内」
<<中国>>--西安--


トイレタイムで、全員が集合するまでの間、構内を撮り歩いた。

正面に見える館は、出土した作品の中でも、精巧に造られた出土品を展示している館である。

それぞれの観光グループが、ガイドの説明を受けているが、いずれも中国人グループのようである。

勿論中国語で説明するガイドの言葉でもそれは分かるが、面白いのは、男性は男性だけ、女性は女性だけのグループが多く、我々のように、男女混合、老若男女が一緒だと言うグループが、少ない事である。

ご存知のように、急速な発展を遂げる中国では、若者を中心に、母国の過去の歴史変遷を学ぼうと言う向学心が旺盛なのであろう。

高度な発展を遂げ、平和に成った日本では、国内旅行は専ら美味い物の食べ歩き、四季の変化を楽しみ、温泉での心の癒しが旅の中心になって来ているのとは、若干様子が違うようである。
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「兵馬俑入口」
<<中国>>--西安--


やっと兵馬俑の有る博物館の入口に到着した。

入場を待つ人の数はあまり多く居ないが、中に入ると沢山の見物客でごった返している。

此処を見学するには結構時間が掛かるので、先ずは入口を入った右側に有るトイレで用を済ますことと成るが、男性は良いとして、女性トイレは列を成して待つこととなるので、全員が揃うまでにはかなりの時間が掛かる。

我々は最後の一人が集合するまで、ぐるりと広場の周りに広がっている、沢山の博物館の建物をバックに記念写真などを撮りながら、時間を潰したのであった。

兵馬俑は年代別に別の建物の中に、発掘現場を収容しており、その規模は目を見張るばかりである。

嘗ては唯の農地であった所が、一大パノラマの景観になっているのだから、時代が変われば所も変わると言った感があるのである。
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「兵馬俑へ」
<<中国>>--西安--


西安市からバスで揺られる事1時間、兵馬俑の有る広場に着いた。

此処にはバスは入れないので、前方に見える入口まで歩かなければならない。

場所は西安市より東へ35キロメートル、驪山(りざん)の北に秦始皇帝陵があるが、この陵墓より更に東へ1.5キロメートルの所に位置している。

1974年、集団農場の井戸掘削り作業をしている時、一人の農夫が偶然発見した遺跡であり、20世紀最大の規模を誇る遺跡発見とされ、世界遺産に登録された。

発見した農夫は楊さんと言い、今でも実在しており、後日その横顔を載せる事とする。

兵馬俑が造られたのは、紀元前210年、秦の始皇帝が中国を統一し、その勢力と権力の偉大さを、この兵馬俑で知ることが出来る。

これから暫くの間、この巨大な兵馬俑の様子を載せる事とする。
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「楊貴妃と一緒に」
<<中国>>--西安--


華清池に有る楊貴妃像と一緒に、記念撮影をする中国女性。

前出の楊貴妃像と一緒に写真に収まる女性たちは、次々と引きも切らない。

中には男性が、楊貴妃像に抱き付いて、写真を撮る輩も居る。

世界の絶世の美女と歌われた楊貴妃にあやかって、美人になりたいと言う世の女性の心理は、いつの世も変わらないのであろう。

それにしても、こうして一緒に並んでいる女性と比べると、如何にこの像が大きいかが窺い知れる。

この女性、中国女性にしては美人なのではないだろうか、そう思って見ると、彼女の顔は楊貴妃に似ているような感じもする。

楊貴妃は最初玄宗皇帝によって、彼の息子の妃として結婚させられたが、余りの美しさに皇帝自らが後宮として、息子から取り上げてしまった経緯が有る。

皇太子はさぞ無念であったろうが、皇帝の権威には逆らえなかったと言う所だろうか。

北京では、京劇を見たが、その最後の演目では、楊貴妃が玄宗皇帝と引き裂かれ、独り身の寂しさを酒で紛らすシーンが有ったが、如何にも哀れな女性の一生であったと言えるだろう。
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「華清池の楊貴妃像」
<<中国>>--西安--


秦の始皇帝など、歴代の皇帝が避寒地として利用した温泉地、華清池の光景。

昨日のBS日テレで、此処を中国の神秘の温泉地として特集していたので、ご覧になった方も居るであろう。

何故此処に楊貴妃の裸身像が置かれているのか、ちょっと説明が必要だろう。

世界の三大美人の一人として楊貴妃が挙げられているのは、周知の事実である。

彼女は16才の時、当時の皇帝玄宗皇帝によって見出され、皇帝の最愛の妃として一身にその愛を受けた。

しかし余りの寵愛振りに、周囲から妬まれ、臣下の讒言によって、死を余儀なくされる運命にある。

二人の愛が頂点であった頃、此処華清池で二人は心身を癒したのである。

背景に見える豪華な家屋には、楊貴妃の湯殿と、玄宗皇帝の湯殿が棟を別にして現存している。

此処の様子は、後日詳しく載せる事とするが、昨日のテレビ特集の関連として載せてみた。

楊貴妃が裸体なのは、湯に入ろうとしているからであり、彼女の美貌にあやかって、次々に彼女の像と一緒に記念撮影をする人々で賑わっており、この像だけを撮るのに苦労したものである。
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「圧搾機」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


小さな風車の脇に置かれていた、嘗て活躍したであろう圧搾機の姿。

かなりの年代物のようなこの機械、多分スペインの特産である、収穫したオレンジかオリーブの実を圧搾して汁を絞り出す機械なのであろう。

今はほとんどがオート化されて、この様に人力でハンドルを回して、果実を絞り出す事はしなくなり、骨董品として、博物館入りを待っている様な状況なのであろう。

しかしこんな年代物の機械が置いてあることが、我々にとっては物珍しく、往時のこの機械の活躍ぶりを推測出来るといった所だ。

背後に広がる畑には、オレンジやオリーブ畑が、青空の下に広がっていたであろう事を想像するだけで、楽しくなるのである。

さて、これから我々はラ・マンチャ地方を後にして、グラナダに向かうのだが、限の良い所で、また中国編に戻る事とする。
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「小さな風車」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


農家風レストランの木戸を出た所に、こんな可愛らしい風車が有った。

此処の畑も、このレストランの経営者の畑のようである。

此処にも、風車を守るかのように、スペイン国旗を携えた鉄板で出来たドン・キホーテの像が置いてある。

この風車小さいが、あながちこの農家の飾りだけでなく、嘗ては風をはらんで、米や麦などの粉挽きに使っていたようである。

これでも一家の農家の、粉挽き作業をするのには、十分活用出来た事であろう。

その奥には、これも嘗ては使用したであろう、脱穀機のような機械が置いてあった。
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「粋なトイレ」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


思わず入って見たくなるような、花一杯に飾られたトイレの様子。

手前が女性用のトイレで、その先が男性用のトイレである。

最初この綺麗な小屋は何だろうと思ったが、セニョーラスと書いてあるのを見て、トイレだなと分かった。

私もまたバスで長旅を前にして、小用を足しておこうと思い入って見たが、とても綺麗で花の香りが一杯していて、感じが良いなと思ったものである。

ホテルにしても、レストランにしても、トイレはその店の顔だから、入口や中が綺麗だと、オーナーの気配りが行き届いているなと、好感が持てるのである。
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「スペイン風の庭」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


眩い太陽に照らし出された農家の庭の風景。

白い壁の隅に置かれた、昔使われた荷車、そして大きなサボテンの植木や花々、如何にもスペインの農家の片隅と言った雰囲気である。

この光景の説明は必要無いであろう。

時代が中世に戻ったようなこんな光景は、ラ・マンチャ地方ならではの爽やかな佇まいと言えるだろう。

嘗てのこの地方の農家は、この様に白壁で囲まれた中庭が有るのが特徴だが、雰囲気は違っても、昔の日本の代表的な農家の造りと、似ているのではなかろうか。
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「田舎屋の光景」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


二週間ぶりで、限の良い所でスペインシリーズに替えた。

中国の霧に霞んだような光景と違い、こちらは目の覚めるような青空と太陽一杯の光景である。

流石情熱の国スペインだけあって、気候まで華やかである。

農家を改造したレストランの中庭は、木々が太陽を一杯受けて、活き活きと光り輝いている。

西洋と東洋、国が変わればこれだけ気候も違うのかと言った、典型のような光景である。

気候が違えば、当然人々の性格も変わるのであろう。

大らかで明るく、のんびりと暮らす人が多いスペイン人の性格は、人を押し退けてでも自己主張をする中国の人とは対照をなすように思える。
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「交通整理」
<<中国>>--西安--


交差点で、手信号で交通整理をするお巡りさんの姿。

信号が有るのに、どうして警官が交通整理をしているのか、理解出来なかった。

どうやら朝のラッシュアワーで、交通渋滞の時は、こうして警官が道路に出て交通整理をするようである。

中国は急激な経済成長で、乗用車が驚くほど増えたが、運転マナーは後進国並みで、早い者勝ちで割り込みは当たり前、クラクションの騒音は、耳を劈くばかりである。

現地ガイドの高さんが、皆さんの中で中国で車が運転出来たら、勲章ものだと言っていたが、良くこれで事故が起こらないなと思うくらい、ハラハラドキドキする場面が随所に見られる。

当然車優先の国だから、横断歩道で信号が青だからと言って、安心して渡る訳には行かない。

その有様は、戦後日本の経済が急成長して、皆が自家用車を持ち始めた時代と似ていると言えるだろう。

日本の当時と違うのは、中国では、結構女性ドライバーが多く、彼女たちも男性顔負けに、神風運転をする事だろう。
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「交差点」
<<中国>>--西安--


いよいよ西安観光の一日目、バスでホテルを出た時の光景。

こうして目抜き通りの交差点を眺めると、西安も立派な都市である。

ご覧の通り、7年前に中国を訪れた時とは異なり、嘗ては自転車が通勤の主流であったが、今や日本と同じように、自家用車、バス、バイクなどが道路を占め、自転車は少数派になりつつある。

あと数年もすれば、日本と同様ほとんどが車となり、健康のためにスポーティな自転車で通勤する人を、見かけるだけになるではないだろうか。

世界は日進月歩で変わりつつあり、東南アジアでも、中国やインドなどが、経済の主流になる日もそう遠くではないに違いない。

朝の8時頃の光景で有るが、相変わらず街の中は霧に包まれている感じである。

道路の中央に分離帯が有るが、どうやら一方通行のようであり、こちらに向かう車だけである。

我々のバスは交差点を左折するのであり、丁度その時に撮った写真である。
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「ツアーメンバー紹介」
<<中国>>--西安--


今回の中国行きで集ったツアーメンバーの集合写真を載せてみた。

三蔵法師の遺体を収めた大雁塔と、三蔵法師の銅像を前にしての記念写真である。

パックツアーでは良く有る事であるが、プロの写真家が記念写真を撮り、後で販売すると言う物だが、私はその写真を買わずに、買ったメンバーの一人から写真を見せてもらい、バスの中でちょっと失礼して、その写真を自分のデジカメのマクロ機能で、撮った物を載せた次第である。

従って、走るバスの中で撮ったので、ちょっとしたブレや、光の反射で見難いかも知れないが、ご勘弁のほどを…

メンバーは夫婦での参加が多いが、親戚一同6名のメンバーや、母娘叔母さんの組や様々だが、男二人と言うのは、我々だけである。

私の脇に居るのが、現地ガイドの中国人、高さんである。

彼は我々が男だけなので、話し易いのか絶えず我々二人に話し掛けて来たが、大学で同じ漢字を使う日本語を専攻したが、こんなに日本語が難しいとは知らず、今になって後悔していると、冗談で言っていた。

皆始めて知り合ったメンバーだが、とても素敵な人たちであり、写真に興味を持つ若い女性ともネフレになり、楽しい旅であった。

余談だが、このメンバーの中では、私が最年長者であった。
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「ホテル前の光景」
<<中国>>--西安--


西安の宿泊ホテルの前から、向い側のビルを撮った光景。

このビルがマンションなのか、企業のビルなのか、看板に書かれた字を見ても分からなかった。

西安は城郭都市で、シルクロードの出発点と聞いていたから、さぞ地方色が豊かなのかと思っていたが、都心部は堂々たる高層ビルの建ち並ぶ街であった。

しかし城郭の外に一歩踏み出すと、農村風景が広がり、北京などと違い、矢張り地方都市だなという感じがするのである。

これからホテルを8時に出発し、秦の始皇帝稜、兵馬俑、華清池、大雁塔などの世界歴史遺産を終日見学する事となる。

旅に出て毎回感じる事であるが、これからどんな出会いが有るかと思うと、わくわくする瞬間である。
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「朝の西安②」
<<中国>>--西安--


ホテル前の道路の、車が走ってくる方向を撮った光景。

未だに、こんな可愛らしいタクシーが走っている所が実に面白く、すかさず狙った。

中国は今バブルの絶頂期にある。

7年前に中国東北地方(瀋陽、旅順、大連)を訪れた時は、道路を走る車の主流は自転車であったが、今や高級乗用車が道路に溢れている。

タクシーもご他聞に漏れず、ほとんどが真新しいセダンである。

しかし、そんな中に混じって、この様なバイクを改造した三輪タクシーが時々やって来る。

都心部でも、貧富の差が激しくなっているのは、農村地帯だけでは無さそうである。

現在、中国共産党の首脳部は、貧富の差を無くす事に躍起になっているが、14億人の世界一の人口を有する中国の、平均生活水準を上げるのは、容易な事では無いであろう。
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「朝の西安」
<<中国>>--西安--


朝食後ホテル前の街の様子を散策した。

車道は日本と反対の右側通行だが、道幅が広く、まだ走る車の数はまばらであった。

今回の中国旅行でずっと感じていた事は、一日中ずっとご覧のように、周囲の景色が霞んでいる事であった。

最初、中国特有の黄砂かスモッグで、この様に街が霞んでいるのかと思ったが、ガイドの高さんの話だと、この時期靄で霞んでいるのだとの事であった。

昼間と朝夕の寒暖の差が大きいため、霧で霞むのだとの事であった。

これはこれで幻想的な光景となり、街の汚い部分を隠すので、良いかなと納得したのであったが、遠くの有名な景色などが、はっきり見えないのは、ちょっと残念な気もした。

晩秋の今の時期は、広い中国では着る物に苦労すると言った感じである。
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