松浦武四郎蝦夷地探検像=時代即し新意味 釧路湿原シニア大学自治会「まち・さんぽの会 2024年12月特別例会」04
 松浦武四郎蝦夷地探検像=時代即し新意味 釧路湿原シニア大学自治会「まち・さんぽの会 2024年12月特別例会」0②

 24年12月17日正午前後 まなぼっと“幣舞”で開催、釧路湿原シニア大学自治会「まち・さんぽの会 2024年12月特別例会」
 「サルウシナイ川集水域の七福神~幣舞・住吉・富士見界わい~」の第2章は、釧路市幣舞4番地 ぬさまい公園内の「松浦武四郎蝦夷地探検像」。
 「野帖 のちょう」に筆。案内役のエカシの説明を、急ぎ記載する像が伝わる。
南大通一丁目の丘陵地で、「双眼鏡を片手に立ち尽くす<嵯峨久寿像>」。
 おすすめのキーワードは「豊富な資源」「水系輸送で河口に集積」「本州市場に搬出」。

 1858年、安政条約で箱館開港の時代に入った蝦夷地で、幕府嘱託として3度目の来釧。
 釧路=「富国繁殖の一大地」と鍋島家家臣に書簡を送り、釧路地方を高く評価。実に1970年代までの地域開発理念。外部の投資・技術・ノウハウを投資誘因する提言だ。
 釧路国釧路郡など、道内11国86郡の名称を献策し、採用された、ただ「北蝦夷道」は「北海道」とされ。不満を頂いた、とされる。
 アイヌ民族社会の惨状を描いて政策転換を求める思想は、「発禁本」という形で<意ならざる点>を残した。

 江戸幕府、明治維新政府に献策を求められるも、受容されず、職を辞して<忖度 そんたく>することはなかった、
 「時代即し新意味」。それは「<傾聴&寛容>で<人類の尊厳>尊重」と、受け止めるべきでは。