嵯峨久寿像=時代即し新意味 釧路湿原シニア大学自治会「まち・さんぽの会 2024年12月特別例会」04
 嵯峨久寿像=時代即し新意味 釧路湿原シニア大学自治会「まち・さんぽの会 2024年12月特別例会」04

 24年12月17日正午前後 まなぼっと“幣舞”で開催、釧路湿原シニア大学自治会「まち・さんぽの会 2024年12月特別例会」
 「サルウシナイ川集水域の七福神~幣舞・住吉・富士見界わい~」の第4章は、釧路市南大通一丁目の丘陵地で、「双眼鏡を片手に立ち尽くす<嵯峨久寿像>」。
 おすすめのキーワードは「鮪豊漁」「動力船・専用漁港・生産者市場」「豊かな資金を開発力に投資」。

 知る人は申す、ハズ。「豊かな資金を開発力に投資」部分は、「釧路漁業の父」ではないか、と。
 そこをご記憶いただけるなら、改めよう。「動力船・専用漁港・生産者市場=釧路漁業の父」。
 こちらなら、いかがであろうか。

 日露戦争の時期に、サメ釣り漁業者の手にかかったマグロ。越後型川崎舟では知れていた。
 漁況を耳に越中漁業者が岩手県宮古漁港経由で来釧。「マウロ流し網漁業」の成果で、昭和3-5年に最盛期を迎えた。
 「マクロの釧路か、釧路の鮪か」。時の釧路港の魚水揚げ額の6割はマグロの水揚げ価格が占めた。

 秋田県人。根室商業学校を経て来釧の嵯峨久は、
 1)に漁船動力化、
 2)に大型漁船に対応する漁業専用港建設、
 3)前時代以来の流通独占をすすめる商業問屋階層の絶大な力を排して<生産者が価格形成権を手にする生産者流通市場>の開設に踏み切った。

 1)から3)が「釧路漁業の父」と言わしめる要因。釧路漁港を<水揚げ量日本一>の礎石となった。
 「右肩あがりの経済指標」。その100年を誘引し、支え続けた時代に「釧路漁業の父」は、「まさにピッタリ」の存在であった。
 世に申す「釧路=三大基幹産業」。そこから石炭が大きく縮小、新聞用紙生産工場も撤退。「三大基幹産業」は今や、「一・五基幹産業」の時代なのだ。

 「外発誘因」。外部の投資、域外の技術、地元民を超えるノウハウ。その地域開発軸は今や転機に。
 そうした時、嵯峨久寿像が存在する意味は、自ずと転換してくる。そうではないか。

 右肩あがりの経済では「釧路漁業の父」たる像も、今は転じた。
 右肩下がりの未来は「潤沢財源=フトコロにお金のある時」に「有効投資=自身と自社の経営に注ぎこみ、開発力を身につけよ(豊かな資金を開発力に投資)」。

 等しく足を運び、像足下の草一本、小枝一樹を取り除いてはいかが。