「自分が見たいと思っていなかった情報にも遭遇」 読書の醍醐味&ネット情報アプローチの“落とし穴”点241003
 「自分が見たいと思っていなかった情報にも遭遇」 読書の醍醐味&ネット情報アプローチの“落とし穴”点241003

論文は百科事典でも書くこと可能。そんな時代が過ぎて、ネット記事コピー横行も。
 『漢和辞典』を最初から読みふける人も居るまいが、多くは<知りたい漢字>記載箇所に直行する。
 昔は現在地から目的地までひたすら歩いた。今や親の運転するマイカーで移動の世代には、路地の景観、運行ルートも記憶には残らない。

 そこを憂えるか、効率的と賛意を示すか。そこは現代人の判断。
 1970年から市内配布の文化欄に投稿させてもらうことが、あった。
 一度、担当すると数年は<担当がまわってこなかった>。

 原稿投稿執筆者の層が厚かった。言葉を換えると「原稿の書き手が豊富」であった。
 この数年。年に一度から二度、依頼される事となった。「執筆者不足」を感じた。
 やがて、数本連載で依頼されるようになり、そして、その欄は廃止となった。

 241003 時事通信社のネット配信記事。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/c6ad05f3a34dcace08cb189ce67c15de20ef8deb
 濵田俊也著「慶事欄なくなる?YouTube活用も◆変わる『社内報』企業の狙いは… #令和に働く」が配信された。
 タイトルでその内容は類推することができよう。ここでは、次の記載に注目する。

(A) 社内からは 「紙の手作り感が好きだったので、なくなると寂しい」と残念がる声も。 
(B)ある男性社員は「冊子だと、めくっているうちに、自分が見たいと思っていなかった情報にも遭遇することがあるが、ウェブの記事だと見たいものしか見なくなるかもしれない」とつぶやいた。
(C)社内報の中身も変化してきた。その一つが「慶事欄」の廃止。

筆者が注目するのは、もちろん(B).
(B)は「思考過程の深化」「論理の組み合って能力」「自身の言葉で情報発信」。
それらの「醸成基盤」として注目することにしたい。記憶量を質量ともに増進・深化する<出発点>ではないか。