2016 02/20 08:23
Category : 時代
二自治体結合
自治体の行政区域としては当時、釧路市と鳥取町にわかれているものの、市街地の拡大で鳥取町に住みながらも釧路市に通勤する者が増加したのである。
その通勤距離をいかに短縮するかである。
跨線橋
その解決案が鉄道跨線橋。線路を跨ぐ歩道橋を造ることであった。
建設の主体は当時の運輸省札幌地方施設部。と言ってもピンとこないが、のちの国鉄札幌鉄道局のことらしい。二つの市街地を跨線橋でむすぶ話は、いつ浮上したのかはまだ確認してはいない。
1949年を境に
昭和23年10月の「北海道新聞」を読むと、会議所専務が施設部は「釧路は来年度に(設計)予算計上」の意向をもっていると、談話を発表した。
札幌と小樽に同じ構想があって、「釧路はその後」というわけ。
自治体の行政区域としては当時、釧路市と鳥取町にわかれているものの、市街地の拡大で鳥取町に住みながらも釧路市に通勤する者が増加したのである。
その通勤距離をいかに短縮するかである。
跨線橋
その解決案が鉄道跨線橋。線路を跨ぐ歩道橋を造ることであった。
建設の主体は当時の運輸省札幌地方施設部。と言ってもピンとこないが、のちの国鉄札幌鉄道局のことらしい。二つの市街地を跨線橋でむすぶ話は、いつ浮上したのかはまだ確認してはいない。
1949年を境に
昭和23年10月の「北海道新聞」を読むと、会議所専務が施設部は「釧路は来年度に(設計)予算計上」の意向をもっていると、談話を発表した。
札幌と小樽に同じ構想があって、「釧路はその後」というわけ。