4・3・2・1の選択 釧鳥合併
4・3・2・1の選択 釧鳥合併.
 昭和24年10月に実施された、釧路市と鳥取町の合併.その意図は「大釧路市の建設」であった.
 それって、なにをめざす.<県庁所在地なみ都市>を目指すということ.

四度目の正直
 両地域の合併は、3度にわたる<機運>を経て、四度目の議論で達成された.



三極
 当時の地域の構造は、三極に人口集中地区が分散していた.
 青印の港湾・商業機能、黒印の石炭産業、茶印の紙パルプ業.

二自治体
 そこにアイヌ民族のコタンからなる釧路市、明治17年に移住を発端にする鳥取町.
 二つの自治体が合併することになった.

一市統合.
 形のうえでは対等合併の新市誕生.実質は人口6万5000人余の釧路市が、1万5000人強の鳥取町を吸収.

 1950年代におこなわれた「昭和の大合併」に先立つ、住民の選択合併とされる.