2012年08月の記事


北海道~鳥取県 交流展
 ≪とりぴー≫は、鳥取県の広報キャラクター。8月25日、釧路市内でもお披露目した。
 「北海道~鳥取県 交流展」に登場。この催事「北海道と鳥取県とのゆかりを再発見」と題して開催。



 鳥取市と釧路市、それぞれに伝わる麒麟獅子舞、水子しげる・谷口ジロー・青山剛昌とつづく「まんが王国とっとり」にふさわしい「国際まんが博」(8月4日~11月25日)のPR,目玉は「鳥取県 北海道移住展」。



 北海道内では札幌・岩見沢・釧路市で開催された。
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ハマナス 恋問海岸
 ハマナス 恋問海岸。

 

 白糠町の<道の駅>の海岸。一帯の砂浜海岸にはハマナスの群落。

 

 湯川秀樹博士の歌に、このハマナスをとりあげた一首がある。

 

 引用してくださるお方のために、昼食後に写真を撮影。

 

 そのうち、お届けしておきたい。


 
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保坂正康・梯久美子談「封印された『兵士の記憶』」
 保坂正康・梯久美子談「封印された『兵士の記憶』」。『文藝春秋』9月号の特集記事の導入に、ノンフィクション作家で聞き取り活動を通じた著作をもつ二人が、対談。

 保坂は、兵士に話を聞こうとするとき肝に銘じていることのひとつが「けっして『裁かない』こと」と、述べる(251p)。
 メディアが示す「大変でしたね。戦争は辛かったですね」という方向に持っていこうとすることは「良くない」と考えている。

 戦争で被害を論ずるのもよいが、加害者の側面を内包しているからだと、言いたげ。
 特攻隊の発進で、躊躇する兵員を飛行機に押し込めて出発させる「整備兵」の仕事もあったのだ、と。
 青酸カリを無理やり、口におしこめることとあわせ。当事者は、かたりたがらない(同)。

 保坂が「戦闘という異常な体験で傷を負った心をケアする」装置が、日本にはなかったことを指摘。先年の東日本大震災を経ても、「未だに日本社会には、辛い記憶と闘う者へのケアのシステムが無い」とする(255&256p)。

 梯は『散るぞ悲しきー硫黄島総指揮官・栗林忠道』を公に。
 「つい最近の昭和という時代に、あれだけの死者を持ったという事実を封印してきたことが、戦後のいろいろなゆがみと関係しているのかも知れない」と述べる(256p)。
 
 二人は、「その封印を解くのが、われわれの仕事」(同)で一致するかの感。
 記憶の記録化は、本土空襲から戦時実体験に。戦時体験を親にもつ「最後の世代」といわれると、筆者もそのとおりである、が。
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鳥取麒麟獅子舞 ジャスコ昭和店
 「鳥取県北海道交流 釧路デー」。主要プログラムのひとつが、「鳥取麒麟獅子舞」の披露。
 因幡東照宮に奉納するため大名家が奨励したとあって、350年の伝統をもち洗練された芸をそこかしこに見せる。



 獅子頭のカエシや振りのポーズ、せり上げてゆく間、低くかまえる重心の位置、足首の甲や裏をかえすシグサにもまことに細かなテクニック。

 獅子頭が口を大きくひらき、他方で「歯ぎしり」の音が伝わる感すらする力のこもった、舞。




 会場には観光展示のなかに、「因幡 麒麟の王国」と銘打ったポスターがあって、186の獅子頭と猩猩面が掲示されていた。
 現今、奉納・披露の機会はかぎられているかも知れないが、多数の保存団体の存在するなかで、それぞれの長い伝統のもとに切磋琢磨する姿勢が随所に滲(にじ)み出ていた。



 終わって、見学者への配慮。
 幼児たちのなかに舞に泣き出すこともいたが、最後は頭にかみつくしぐさで、「こどもの未来」を願い、見学の親子に大きな満足感。

 釧路市ジャスコ昭和店を会場に開かれた、「鳥取県北海道交流 釧路デー」のひとコマ。
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鶴居どさんこ牧場
 釧路湿原の要地。キラコタン崎や宮島岬といった著名地の橋頭保かも。

 なだらかな丘陵に、刈りこみのすすんだ草原がひろがり、おだやかなたたずまい。



 「どさんこ」。漢字では道産子、道産仔であろうが地つきの馬。地つきと申しても本州・南部地方から江戸時代に輸送馬として移されたもののように、思うけれど。

 8月15日。暑いところ、寄りつくアブを尻尾ではらいのけながら、馬は初秋をしのいでいた。

 どさんこ。その眼差しが、いじらしかったけれども。
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首都高速 その周辺
首都高速5号
 
 朝の散歩。
 江戸城からみると外壕のわずかに内側。堀のうえには「首都高速5号池袋線」が通過。周囲に「伝蔵地蔵尊」など。
 
 一度、お茶ノ水駅で降りて訪問した「湯島聖堂」、神田明神。水道橋で降りたか後楽園の庭園。これらは外濠の外にあること、ようやく理解。

 江戸の今、ビル街に囲まれて、遠望がきかず。地図を広げていろいろ考えたー
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壕 環状線
東京都千代田区の飯田橋界わい。江戸城との位置関係で申すとどういうことになるのか理解をしていないが、一帯は目の下に壕、頭のうえに環状線。

     

 ふとみつけた、石仏像。伝蔵地蔵尊とある。壕と環状線のあいだに「時間」停止の空間。目線にとまった水とコンクリートの構図。カメラ目線には水がめず、「こんなこと」とコメント、が必要。8月8日朝。江戸と東京のはざまのなかに、時間の停止ポイント。科学技術と民俗の中間に、あり。
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遠望 上京
 平成19年7月以来の上京。この間、羽田空港を通過するもビルからでず、この間に建設工事のスカイツリー。


 早朝のホテル。カーテンを開いて、遠くに眺望。これが時代の、話題の、ウワサの建造物。

 新しいシンボル。東京タワーはどうしてるかな?。
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散歩道、飯田橋界わい
散歩道、飯田橋界わい。炎天下、時間ができて書肆にて探し物。その途次、道筋に標柱があって「散歩道」。

 いろいろな旧制の学校があつまっているらしく、かしこに写真の案内標柱。

 

 麹町区飯田町は写真の府立四中に、日本大学、東京農大の標柱もあったような気がする。

 善き時代の同窓生にとって、こたえられないのかも、飯田橋界わい。明るいうちに楽しめた。図面があると、なお良いのかも。
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涼気 亜細亜大学野球部
 東都大学野球連盟の、亜細亜大学野球部が釧路市で夏季合宿をつづけている。今年で3年目と記憶する。

 合宿の後半にはオープン戦が組まれて、練習試合が日に2試合組まれ、野球好きにとっては、これがなかなかたまらないはず。

 亜細亜大学野球部。いまや東都大学野球連盟の雄。昨年、平成23年度秋季リーグでは、日大、駒沢、中央などを制して覇者となった。

 
 亜細亜大学野球部練習試合 対東京農大戦
 雨もあがった釧路市民球場でのオープン戦は、対東京農業大学戦。と言っても、網走市に開設されている学部の出場ながら、序盤にスクイズあり、ダブルプレーありの接戦。

 最後は亜細亜大学の代打攻勢が奏功。二死から走者一掃の左翼越え二塁打で試合は決着。5-2の幕切れとなった。涼しい釧路での合宿。秋季リーグでは、昨年につづき好成績を残してほしい
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オリンピック 放送のない朝
 8月14日朝。早朝に目が覚めた。このところ多用であったが、本日をもって少々落ち着く。そのせいもあってか、朝、早い時刻での起床。

 追われるものがないと、目がさめるのも早い。ブクログに北道邦彦著『アイヌの叙事詩』を登録。
 幸いに既存データによる記載が可能で、自記登録しなくても記載ができた。

 この2週間、目が覚めるとテレビ、オリンピック放送、一喜一憂。そんな日課になっていたが、どうやら落ち着く。
 2週間ながら、生活のスタイルになったか。ロンドン五輪。待つは長く、はじまると瞬時。

 午前4時半。朝の散歩。
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大山眞人著『団地が死んでいく』
 大山眞人著『団地が死んでいく』。「団地が死んでいく」を、二つの側面から説明しています。ひとつは住まいの場である建物が劣化していくことです。それだけでなく、入居者の世代交代があります。

 建物が次第に使えなくなる要因を、建て方そのものが悪い、メンテナンスの対応が悪くて使用可能なのにその期間が短期で終わる、まだ使えるのに入居者を排除して建て替えしてしまう、などです。

 入居者の世代交代。その深刻な点は「孤独死」です。孤独死といい、官庁は「孤立死」という考え方だそうです。
 孤独死は死そのものであり、防ぐことはできないが、発見の期間を短くしたり、場合によっては防ぐこともできると、説明しています。
 近隣の人間関係、プライバシーとは別な関心の寄せあいで、防ぐことも可能なのだと地域での取り組みケースを紹介しています。

 団地。日本の社会で普及して時間がたっていません。いま、たくさんの人をかかえこんだ集団生活の行方が、どのようになるか。考えるのに、たいせつな見方、考え方が、示されています。
 団地をつくり、利用してもらうことだけを考えた計画や開発をすすめた担当者の考えのなかには、「30年さきの将来、そこで『なにが起きるか』を考えていなかった」とも、書いています。

 「サービスを受ける人、サービスを提供してくれる人との接点がいちばん重要」で、「本当に死んでいく」のは「そこに住む高齢者であり」、「作り上げてきた『結=注 ゆい』と『結の想像力』だ」としています。
 堅牢な鉄筋コンクリート製の建物のなかで展開される、地域のなかで人心の『むすびつき』の重要さを、考えさせてくれます。(平凡社新書 2008年)
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