保坂正康・梯久美子談「封印された『兵士の記憶』」
 保坂正康・梯久美子談「封印された『兵士の記憶』」。『文藝春秋』9月号の特集記事の導入に、ノンフィクション作家で聞き取り活動を通じた著作をもつ二人が、対談。

 保坂は、兵士に話を聞こうとするとき肝に銘じていることのひとつが「けっして『裁かない』こと」と、述べる(251p)。
 メディアが示す「大変でしたね。戦争は辛かったですね」という方向に持っていこうとすることは「良くない」と考えている。

 戦争で被害を論ずるのもよいが、加害者の側面を内包しているからだと、言いたげ。
 特攻隊の発進で、躊躇する兵員を飛行機に押し込めて出発させる「整備兵」の仕事もあったのだ、と。
 青酸カリを無理やり、口におしこめることとあわせ。当事者は、かたりたがらない(同)。

 保坂が「戦闘という異常な体験で傷を負った心をケアする」装置が、日本にはなかったことを指摘。先年の東日本大震災を経ても、「未だに日本社会には、辛い記憶と闘う者へのケアのシステムが無い」とする(255&256p)。

 梯は『散るぞ悲しきー硫黄島総指揮官・栗林忠道』を公に。
 「つい最近の昭和という時代に、あれだけの死者を持ったという事実を封印してきたことが、戦後のいろいろなゆがみと関係しているのかも知れない」と述べる(256p)。
 
 二人は、「その封印を解くのが、われわれの仕事」(同)で一致するかの感。
 記憶の記録化は、本土空襲から戦時実体験に。戦時体験を親にもつ「最後の世代」といわれると、筆者もそのとおりである、が。

編集 freehand2007 : 昨年9月に、どんな特集がくまれていたか。思い出しています。
編集 ペン : こうした記憶を「言わず・聴かず・見ず」で過ごして来たことに対して疑問です。必要以上に嫌悪する必要もないし擁護することも無用だと思います。