2012 03/13 06:55
Category : 書評
藤原正彦著「新渡戸稲造『武士道』は魂の書」。『文藝春秋』2004年5月号に掲載されていた特集を、あらためて読んでいる。
著者は勤務先の大学で、新入生を相手に開くゼミで読む本として、本誌でその模様を紹介していたものを読んだ。前後関係からすると、この特集のあとに藤原ゼミの公開が続いたとおもう。
原著を読んだ記憶はない。「記憶はない」など恥ずかしくて書いてはおられないのかも知れないが。藤原氏は申される。「桜の花のごとく世界に誇るべき日本の民俗精神」、と。
「二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない」とする(273p)。「武士道なくして日本復活なし」ともするなかで、救済のモデルとその哲学はなにか?。
人物に吉田松陰をあげ、「行き着く先はわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれない」(272p)の生き方。
世はアメリカ化の趨勢。「日本復活」というより、日本の主体性が求められているのに、その芽が出ないかの感。
≪新渡戸の発言に注目を≫ということなのかも、知れない。
著者は勤務先の大学で、新入生を相手に開くゼミで読む本として、本誌でその模様を紹介していたものを読んだ。前後関係からすると、この特集のあとに藤原ゼミの公開が続いたとおもう。
原著を読んだ記憶はない。「記憶はない」など恥ずかしくて書いてはおられないのかも知れないが。藤原氏は申される。「桜の花のごとく世界に誇るべき日本の民俗精神」、と。
「二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない」とする(273p)。「武士道なくして日本復活なし」ともするなかで、救済のモデルとその哲学はなにか?。
人物に吉田松陰をあげ、「行き着く先はわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれない」(272p)の生き方。
世はアメリカ化の趨勢。「日本復活」というより、日本の主体性が求められているのに、その芽が出ないかの感。
≪新渡戸の発言に注目を≫ということなのかも、知れない。