釧網線 久著呂川右岸誘致論
 釧網線 久著呂川右岸誘致論。昭和6年に開通した網走ー釧路間をむすぶ釧網線。

 うち標茶ー釧路間をめぐっては、地元側にいくつかの議論があった。
 そのひとつが大正8年6月に、今日の鶴居村住民側から提起された≪釧網線 久著呂右岸誘致論≫。
 そういう題名で誘致合戦がおこなわれたわけではないが、現行路線側にはすでに路線が通じてるとして、新路線は釧路湿原西部を通過させるべきと主張した。

 大正11年になって、結果は、「久著呂川左岸の運動が強く」として現行路線が有力となる。理由は「開拓の進展度合い」。
 今流にいえば、地域間格差を埋めたいということでは、あったか。