2011 09/04 14:04
Category : 催事
TVの新日本風土記で、「遠野物語」。
1975年5月の初旬に訪問したことがあったがが、一面の田んぼで、物語そして柳田の哲学など感ずることもなかった。
資料館のようなところに立ち寄った記憶があるが、整備されたものでなかったとの、印象がある。
テレビをみていて、やはり「遠野」と聞いただけでは不足で、『遠野物語』を読んでいなくてはと、実感した。
そもそも、地名の語源たる沼は田んぼにかわり、周囲の山岳にモノガタリと神宿りがあるなど、説明やマップがないと有意味性が伝わらない。
善明寺という寺には絵馬が奉納されているらしい。写真のない時代に供養絵馬を寺に納めて、絵馬にかかれた肉親像に手をあわす。で、亡き人を追善する。
山は水を供給する命の源。写真に撮ることで記録できる景観、記録しがたい情報や思想の表現。
季節行事は、当該季節でないと、その実感が再生産できないなー。そうしたことを感じたのだが。
1975年5月の初旬に訪問したことがあったがが、一面の田んぼで、物語そして柳田の哲学など感ずることもなかった。
資料館のようなところに立ち寄った記憶があるが、整備されたものでなかったとの、印象がある。
テレビをみていて、やはり「遠野」と聞いただけでは不足で、『遠野物語』を読んでいなくてはと、実感した。
そもそも、地名の語源たる沼は田んぼにかわり、周囲の山岳にモノガタリと神宿りがあるなど、説明やマップがないと有意味性が伝わらない。
善明寺という寺には絵馬が奉納されているらしい。写真のない時代に供養絵馬を寺に納めて、絵馬にかかれた肉親像に手をあわす。で、亡き人を追善する。
山は水を供給する命の源。写真に撮ることで記録できる景観、記録しがたい情報や思想の表現。
季節行事は、当該季節でないと、その実感が再生産できないなー。そうしたことを感じたのだが。