2011年07月の記事


ラジオ体操2011 釧路市立共栄小学校


photo by pacific0035 from OCNフォトフレンド
 ラジオ体操2011 釧路市立共栄小学校。「近くでやっているよ」と教えられ、出かけてみることに。歩いて15分、往復で3000歩強の道のりに会場がある。

 こちらは小学校単位で、PTAと地域の児童を育てる会との共催で開催中のようで、体育館の窓ガラスには「夏休みラジオ体操」の掲示。
 校長先生も朝、姿をみせている。

 自宅のあった田舎を離れて、23年。それまでは毎年、主宰していたが。

 29日、30日、31日。親や近所の住人が出てきて、それなりににぎわいをみせている。

 誘ってくださった方は、首都圏から避暑で滞在中のお方。帰路、話しこむことが重要か。

 会場には「社会を明るくする運動」の、幟。地域の大人。子供たちに自ら頑張っていることを示すことが、一番、重要、か。
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地上デジタル
 移行の場面をテレビで眺めて、NTV系列は、徳光アナの放送が、途中で切れて、無事移行。

 NTVとTBS系列では、カウントダウン。
 NHKは、ほとんど関連行事はなし。 いつ移行が表明されたか。相当前で、いつの日かと思いきや、その日が、来た。

 総務省には23日に6万件の商会。24日は7万5000件。
 随分、広報をしていたと思いきや。
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地上アナログ放送
 本日正午で終了といわれている。

 受像機が一台。録画機が2台。コンバーターを購入することにしようか、どうしようか。

 あらたに電源が必要で、そのつど電源を接続する必要。少しは安くなるまいか。

 あと、数十分。画面の転換をながめることにしようか。テレビ放送は昭和28年のはじまり?。以来の大転換?。
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佐野眞一著『宮本常一が見た日本』。
 佐野眞一著『宮本常一が見た日本』。高度経済成長で日本文化が失ったものは、なにか。

 宮本常一を民俗学にとどめることなく、ノンフィクション作家にして、民俗学の域を超えるととする。

 周防大島といえば宮本の出身地。渋沢敬三の支持、全国を旅する調査。

 渋沢はすすめたという。学者はたくさんいるが、資料の保存と体系化に努める人はいない、と。確かにそうかも。

 で、日本文化が失ったものは、なにか。
 地域のなかにあった潜在能力。これが否定され、集積と効率で利益も経営も少数の資本に収斂した、か。

 勝者がうまれ、敗者が地域を去った。地域からは勝者も去った。背後に荒廃が残る。

 宮本の佐渡での提案。農業の振興、民俗博物館の開設、観光の拡大。これからも、地域の起爆剤になる、か。
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対比 チョモランマ
 どっちが高いか「エヴェレスト」と「チョモランマ」というのがあって、エベレストは欧米読み、「チョモランマ(チベット語)」という話があった。

 つでに、須弥山(シュミセン)とも言っておく、か。朝のテレビで、話題に。
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小泉武夫著「日本酒なるほど物語」
小泉武夫著「日本酒なるほど物語」。「酒は人類の作ったうれしい文化のひとつ」と、冒頭に述べている。
 酒の製造と飲酒の様式が大衆化する以前が意味深である。「稲作の神をもてなす飲料」(94p)とするところが、奥深い。収穫の神に収穫の神事と宗教的儀礼、酒が結合している。

 正月にしろ、正月の酒にしろ、日本人の生活は「神」をそっちのけで暮らし、呑んでいる。
 酔うことが目的になり、呑む意味や日本酒のうまさが問われることの不足している点は、さびしい。

 なぜ、そうなっているのか。著者は、長い日本酒と国民の関係を丁寧に記載する。酒の専門職人化は奈良、酒の銘柄は平安、麹と造酒の一体化は江戸。

 近代は酒への課税の酷が指摘され、密造酒の精製と取り締まりのイタチごっこを伝える。庶民の哀歓、酒への楽しみと執念を見る思いがする。
 醸造酒、蒸留酒とあるなか、日本酒には「度胸がすわり、勇気がわいて、命さえ惜しくなるようなところがある」とする(152p)。
 日本酒の可能性を示しているのかも。ほかに、白幡洋三郎・尼﨑博正「京都名庭こう見てよし!」所収。(日本放送出版協会 2006年12月)。
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政治離れか
 テレビはBSを中心に見る。政治はBS1の海外報道のニュースを朝方に。

 日本の政治報道が楽しくない。報道の姿勢もあるが、与野党の論戦、役所の対応に魅力がない。

 アメリカ財政がたいへんらしい。債務不履行。

 アメリカでも共和党は「大統領の責任」と、ひたすら辞任をせまるのか?。
 8年間の共和党政権後の民主党政権。イラクの戦争、蓄積の税制赤字。

 辞任要求の前に、打つ手を考える「大人の対応」がない、と。
 政治離れか、テレビはBSを見る。浮世を離れて、楽しんでいる。

 
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白幡・尼崎著「京都名庭こう見てよし!」
 白幡・尼崎著「京都名庭こう見てよし!」。庭の構成要素としての石と水。

 石には「自然の代表で、人間と対話する相手」(10p)の意味があるのだそうだ。そう、気づくには識者の指摘が必要だ。山科道安の「かい記」が紹介される。

 「昔の人が深い深い山にわけいった経験が表現されているのであろう」(20p)。

 庭に転機が訪れる。平安時代のそれは「池の石」で、「海岸の風景を写す」とされた。その時期、わび茶の発生とともに「市中の山居」に転換するという(43p)。

 「市中の山裾」を本当の自然の中に営む草庵よりも優れていると自負していたともいう(45p)。

 庭は形の世界ではあるが、哲学の世界でもあると実感させてくれた。(日本放送出版協会 2006年12月)。
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乾パン
 乾パン。災害対策用でお馴染み。その乾パンをコーヒーを食するときに、5個、6個。

 空腹をみたすというより、刺激緩和剤のつもり。

 それだけでは胃壁もたまるまいとのご指摘もあるかもしれないが、糖分控え目、添加剤少ないような気がして愛用。

 200円そこそこの価格で、1週間はたべられる。ショートケーキ、一個の価格にもみたないが。

 早暁のめざめ。能率をあげるためのコーヒー一杯の前の、くらしの知恵のつもりながら。
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噛む 深呼吸 歩く
 セロトニン神経を鍛える極意と聞かされたことがある。「聖地が癒す」という趣旨の講座のなかで、テキストに記載された事項。

 「よく噛み、唾液を十二分に引き出して」とは、健康の維持で聴かされる。呑みこもうか、飲み込むまいか。
 そのとき、考える。「ここで、飲み込むタイミングか、いや?、まだか」。

 深呼吸。迷うときには、大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。そうとも、言うではないか。
 その間に、別なアイデアが頭をよぎる。

 歩く。目的地につくまでに、実はいろんなことを考える。車を運転してもいろんなことは考えるが、それは安全な運転のためであって、気持ちを分散させるわけにはゆかない。

 ウツ、自殺。選ぶことのできる道は、ひとつだけか?。
 そのとき、他にある方法、手立て、選択の発見。確かに平常心なら、それは可能。
 噛む、深呼吸、歩く。それ自体も目的であるかもしれないが、その間に存在する「幅広い選択過程」こそ、重要であるように思えるが。
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健康診断結果
6月22日実施の定期健康診断。その結果がもたらされた。例年になく血圧が高め、悪玉コレステロール値が、昨年より高いのは、20日夕に肉食をしたためか。

2年ぶりのバリュウム検査。異常がなかった。しばしばカメラを呑むことになったが。定期券でバス利用が多くなり歩数減少は結果に反映らしい。テキメン。
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益川敏英著「湯川秀樹ー物理の荒野のドリーマーー」。
 益川敏英著「湯川秀樹ー物理の荒野のドリーマーー」。本邦で最初のノーベル賞物理学賞を受賞した湯川秀樹について、湯川の孫弟子にあたるとする、これまたノーベル賞受賞者が論じる。

 孫弟子ならではの内側からみた湯川像を提示する。中間子論理解のために、「相対性理論」と「量子論」の理解をうながすところから始まる(100p)。
核力というのは原子核内の核子のところでは強く働くが、外を飛んでいる電子のあたりには及んでいない。であるとすれば、核力の届く距離は非常に短いわけで、つまり原子核の直系の距離を超えると力が弱くなり、まもなくゼロになる、そんな粒子だと考えられる」(101p)。結論は「質量は電子の約200倍で、陽子の約十分の一とわかった」(同)。これが「湯川中間子」。要するに、チンプンカンプンではあるが。
 
 湯川は勤務先の大阪大学で論文提出の催促をうけながら、そこでひらめいていた「中間子理論」をまとめる(104p)。
 ところが「ちょっとしたマチガイがある」と、益川は指摘する。補正は、3年後に益川の恩師・坂田昌一教授との研究でおこなわれる。

 湯川は言ったとされる。「自分らしくありつづけること。それは、果敢でもあり、孤独でもあり、夢みるようでもある」と。

 NHKテレビテキスト。ほかに、大崎善生著「升田幸三 伝説の棋士」所収。(2011年2月 日本放送出版協会)。
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選手層
 選手層。アジア陸上という大会があった。

 テレビ番組で放映されてはいたが、BS民報の放送で、地上波では26時と言うから午前2時台から4時にかけての放送ということか。

 開催地は神戸らしいが観客席もまばら、放送も人目につかぬ時間帯で地味な大会ということになる。

 短距離の女子選手で北海道出身者が活躍するので、会期中、3日はテレビを見たように思う。

 韓国、中国の選手は、時により好成績を残したが、最終日のリレーでは、出場を確認できなかった。
 予選はなしで、いきなり決勝種目であったから、落選ということもない。

 大国・中国も、韓国も、日本選手には負けたくないだろうから、エリート競技者が出場する。でも、継走では、事情がことなるのか。

 日本短距離陣が、オリンピックや世界選手権で、個人種目では
さえなくても、リレーでは健闘しておるのとは事情が異なるようである。
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Madagascar
Madagascar 朝、着用してたTシャツの横文字が問題になった。

 英文で記載がある。現地で10年前に購入したシャツ。フランス文化圏であるからには、フランス語表記であるべきだ、と。

 インド製か、中国製かに違いないということなのだが。

 Tagで確認しようにも、すでに度重なる洗濯でどこへ行った、か。

 現地で購入の土産物。外国からの輸入品である気配は十分にある。
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巨人戦 自転車こいで
巨人戦 自転車こいで人力発電。東京ドームの主催試合で、ファンの参加をもとめ、試合後のバッテリーカーの充電をするとやら。

ITの書き込みのタイトルを読んで、知るにいたりましたが。

読んだ時は、「あらあら、連日の貧打戦、選手を入れ替え、ほそぼそと自転車操業」のことかと、おもった。

思わせるほどの情けない試合。日ごろのおこない、見直さなくてわ。言われるよりも、おもわれる。
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石川文洋談「写真を撮る 人間を撮る」
「どこで生まれ育ったかで政府軍に入るか、解放戦線に入るかが決まってくるんですよ」(122p)。1960年代、ベトナムで展開されたアメリカ軍の戦い。南ベトナムの農村は、政府軍支配区、解放区、競合区とわかれたが、ベトナム人同士で殺しあいをするその区分が、「どちらの側で戦うか、それは運命なのです」(同)と見通す。

ベトナム戦争の最前線で、危険をおかしつつ報道写真家として画像を送りつづけた。戦場でシャッターを押す時も、「世界の美女」を写真集で送りだすときも、「そこに心が動いたからシャッターを押す」(163p)のだと
する。他方で、週刊誌、月刊誌が「ドキュメントを扱わなくなった」と、日本が豊かになったことの「裏返し」と指摘(162p)。
(読者が)読まなくなったのか、(出版社が)読ませなくなったのか。そこが聴きたいところではある、が。
 「違った立場に生まれた人々が、政治の力によって殺しあう。それが戦争だと想いました」。NHK「知るを楽しむ」のテキスト(2008年2月)。
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野村克也談「逆転の発想」
 プロ野球監督の半生を自ら語る。

 ID野球の出発を、祭りでアイスクリームを売る時期と扱い量の計算で鍛えられたとする。

 チームが強くなるには、補強と育成だが弱体チームは既成戦力の育成という名の教育しかない、と述べている。

 データを基盤としてはいるが、情熱と愛情と指摘。高校時代までの少年期、選手時代、監督時代もパ・リーグ時代の前半と、ヤクルト・阪神そして楽天の時代の後半にわける。

 勢いと緻密。72歳まで野球現役の中身を開示。
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山本作兵衛
ETVで、たまたま日記紹介の番組をみた。「ふるさとハイビジョン」とか。

激務の中で日記を残した。他方で絵筆を手に労務にあけくれる作業の日課を作品に残した。

生産原点で記録をつくることの困難。史学のうえからは「作るとよいのに」とは言いながら、激務の中で日常記録の記載はたいへん難しいことなのだ。

開拓農業者の営農、北洋転換船乗組員の漁労作業。営農記録はないわけではないが、北洋転換船の作業記録は存在を聴かない。

炭鉱の激務の中で、記録を残した。保存し、その価値を世に広めた努力は、役場ではなく高等教育機関でも関与しないと困難である点は、さびしい。

自治体の財政力より、自治体職員の知力が足りないのかも。
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福井勝義著『東アフリカ・色と模様の世界』
 福井勝義著『東アフリカ・色と模様の世界』。サブタイトルがあって、「無文字社会の豊かな創造力」。このタイトルに魅かれて読んだ。

 創造力の豊かさ、その所以はなにか。末尾に近く、次の記載がある。
 「自然のリズムをたくみに文化にとりいれ、自然のさまざまな要素と色・模様を介してつながっていた」(169p)。
 「自信あふれた誇りの高さ」「自然と人間との深いつながりから生まれてきた彼ら自体の存在感から醸しだされるもの」(同)。
 「自然はそれほど私たちの既存の想像力を超えた存在」「自然との関係で育まれた人類の豊かな想像こそ、私たちにかぎりない創造力をもたらしてくれるはず」(171p)。

 舞台は東アフリカのボディ。生活の中心に牛があって、その色と模様が命名原理が多様な毛色の認識を基盤にしている社会を示す。

 「牛の毛色多型現象」は、「家畜化された動物のもっとも大きな特徴」なのだそうで(70p)、農作業の過程で関与する牛の色・模様が決まっている(147-160p)。

 その「毛色多型現象」。永年の民俗遺伝観を基盤にしていおり、民族の色・模様の認識・分類体系は、「毛色にもとづいた雌牛の認識・分類体系とまったくといっていいほど対応するという」(90p)。

 ローレンツ著『文明化した人間の八つの大罪」が引用されている。「伝統の破壊」の項目に、「合理的に理解できることだけが、あるいは科学的に証明できることだけが、人類の確実な知的財産であるという迷信は、有害である」(170p)。

 本書は2000年1月の出版。手元に置いて暫くながら、震災後の原発事故。読んでみて感慨深いものがあった。
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