岩手県でM6.3震度5弱の強い地震発生!
11/30 17:24 33.3N 133.2E 30k M3.4 高知県西部
12/01 11:26 36.1N 139.0E 150k M4.2 埼玉県北部
12/01 14:20 35.1N 135.7E 10k M2.7 京都府南部
12/01 22:48 34.3N 139.2E 浅い M2.4 新島・神津島近海 
12/02 01:28 43.6N 147.4E 60k M4.7 北海道東方沖 
12/02 09:26 33.6N 135.1E 50k M3.5 和歌山県紀伊水道 
12/02 13:34 39.6N 142.1E 50k M3.8 岩手県沖
12/02 14:24 35.6N 140.1E 70k M3.9 千葉県北西部 
12/02 14:53 35.9N 137.7E 10k M2.7 長野県南部 
12/02 15:47 38.3N 140.0E 10k M3.1 山形県村山地方 
12/02 21:29 38.3N 140.0E 10k M3.3 山形県村山地方 
12/02 22:02 39.4N 141.3E 130k M6.3 岩手県内陸南部 
 最大深度は5弱で宮城県北部 


▲12/02 22:02 39.4N 141.3E 130k M6.3 岩手県内陸南部 
[震度が観測された地域]
震度5-
 宮城県北部
震度4
 青森県三八上北 岩手県沿岸北部 岩手県沿岸南部 岩手県内陸北部 岩手県内陸南部 宮城県南部 秋田県沿岸北部 秋田県沿岸南部 秋田県内陸南部 山形県庄内 山形県村山
[震度が観測された市町村]
震度5-
 古川市 涌谷町
震度4
 七戸町 百石町 六戸町 上北町 東北町 天間林村 下田町 五戸町 名川町 階上町 福地村 青森南郷村 倉石村 宮古市 久慈市 岩手山田町 種市町 大船渡市 釜石市 盛岡市 二戸市 北上市 大迫町 岩手大東町 石巻市 気仙沼市 栗駒町 中田町 志津川町 仙台宮城野区 秋田山本町 秋田井川町 雄和町 秋田岩城町 西目町 大曲市 秋田神岡町 西仙北町 秋田六郷町 中仙町 仙北町 太田町 仙南村 大雄村 酒田市 山形平田町 山形中山町
――――――――HP[地震加速度情報の画像ページ]より転載


 前回の更新で述べた先月末30日の月の光冠現象は、このM6.3最大震度5弱が最も疑わしいように思える。また更新漏れとなったが28日の日の出に見た太陽柱も関係があったかも知れない。昨夜の午後8時頃、コリドラス2匹にはあまりに激しい反応が見られたので、今晩中に北海道近郊のどこかで地震があるだろうとちょうど家族に話していたその矢先だった。前兆掲示板には20時50分の投稿で満月が真っ赤に染まっているとの報告があった。それからVLF帯データ観測で見られた昨日〜本日の異変についてトチロー氏がWeb上で注意を喚起されていたが、それはこの地震が原因だったのだろうか?
 依然、満月トリガーの真っ最中であり、各地でまだ注意が必要だと思う。つい先程も突然のフリーズにて書き上げた文章が消え更新が遅れた。ハッキリしないが、これはまだ大きな震源が他にも解放寸前であることを示すものかもしれない。

 昨夜放送したTV特命リサーチを見て、私に数日間続いていた不快は目の蚊文症なるものであることが判った。番組の内容通り私も極度に進行した近視であり、PCのモニターを見ることによる目の疲れをかなり意識している点と、つい疲れ目の時に目を強く擦りがちであることなどがそのままに当てはまる。今もこうしていると右目に蚊のような黒いゴミが眼球にまとわりついているのがハッキリと見えて不快である。これが酷い場合には失明に至るらしい。ウーム、あまりに続くようならば眼科に行ってみるつもり。

 一昨日から日本中は、皇太子妃雅子さん御出産の喜びに沸いているところ。確かに母子共に無事で健康なお子さまが授かったことは大変喜ばしいことであり、お目出度いものとは思うが、ただ個人的には記帳に出向くほどの考えにはなれない。天皇制については、あくまでも象徴天皇として世界的にも稀少な日本国の伝統と見なすならばそれはいいのではないか。しかし天皇を絶対的な神格として“崇拝の対象”と見なそうものなら、それは己れ自身の神性を卑下することを意味する。要は天皇に関しては必要以上に意識せず、無頓着であることだと私は思う。何よりも自分自身への尊厳こそが絶対であり、それを捨ててはならないと思う。
 天皇問題の根本とはその絶対的な神性、天皇神話にある。つまりイザナギ・イザナミ神の子にして高天原の最高神たる太陽の女神、天照大神五代目の子孫が初代・神武天皇であるという位置付けが天皇の存在を絶対的なものにしているのである。このような一個人の人間を必要以上に神格化することは、己れの神性を否定し従属させることに繋がる。これと同様なことは神の唯一の御子イエス・キリストというカトリック思想に見られ、この絶対性が万人の内なるキリスト意識という普遍性を、個人の素晴らしき可能性を完全に否定してしまった。イエスがその神性を達成したのは彼自身の栄光であってそれは輝かしい称賛に値いするが、しかし彼は人間であり本当の意味で“人の子”であった。イエスの真の驚異とは彼が我々同様の人間であったという点であり、人の持つ内なる可能性を自分自身を通して示したことにある。しかし愚かにも教会主義はイエスを神(唯一の御子)として祭り上げてしまった。
 更に日本の天皇の存在からは、その継承の在り方がメシア(救世主)は必ずやダビデ王の子孫から排出するものであるとするユダヤ思想やまるで彼らユダヤ民族のような神国ニッポンという特別な選民意識を持つことにも酷似するように見受けられる。つまりそこには非常に強い絶対性が見える。

 人類はいい加減、崇拝と献身、従属などという古いやり方からは卒業すべきであり、己れの内なる神性の声に従うべきである。崇拝と従属は自分自身の個性という神聖な光を閉ざしてしまう。
 尚、私が述べるのは天皇を神として崇めることについて危惧するもの。これは決してただ伝統を尊重しないというものではなく、別に天皇を中傷しているわけではないので誤解しないで欲しい。天皇が日本の象徴として平和活動に貢献しようとするものであるならば、私は必ずしも否定するわけではない。