利幅にゆとりなく経営体縮小 御得稲荷・川上日枝・大木司稲荷に紳習教支教会も240908
 利幅にゆとりなく経営体縮小 御得稲荷・川上日枝・大木司稲荷に紳習教支教会も240908、

跡地となった聖蹟は、荒廃がはじまっていた。御得稲荷・川上日枝・大木司稲荷に続き確認。

  神習教心誠支教会は昭和10年 1935年の創祀。近隣の釧路ガス株式会社の創業とも重なる。
 浪花・寿をふくむ旧「トンケシ=頓化」地区の漁業経営者が中心となって支えたのかも。  釧路西港建設。一帯の前浜に漁業権をもっていた経営体は漁業補償をうけて転業することになった。
 経営体数の縮小。地域の小売業もその後、徐々に影響を受け始めている。

 「惟神」「神習教心誠支教会」「宗偏流 茶道教室 槻舘宗雅」。3基の掲示が残る。
 なかでも「惟神」の掲額。「随神」の漢字表記と同じで「かんながら」と読む。
 一太郎ソフトで「かんながら」と入力するに、「惟神」と標記される。

 ちなみに「紳習教」は「教名」で、「かんあがらのみち」は「教旨」とされている。
 「神道神習教公式ページ」で「教名と教旨」の伝えるところ、以下に記載。=
 「教名」について 芳村正秉が皇大神宮に禰宜として奉職中、荒祭宮の月例祭に奉仕している際、倭姫命から「汝が一教を立てる時には神習いの教えとせよ」と託宣が下ったことによる。
 「教旨」について 同時に「教の旨を『かみながら』とせよ」との託宣もあり、教旨を「かみながら」としている。

 その【かん‐ながら=随神/惟神】 の伝えるところ。二つの語意が含まれるようで。
 「1 神であるままに。神として」。そして「2 神代のままに。神のおぼしめしのままに」。
 「惟神」「神習教心誠支教会」「宗偏流 茶道教室 槻舘宗雅」。保存の額は読めた。
 鳥居は健在ながら記載みあたらず。献灯の石灯篭は崩れて、記載不可能であった。
 主管者健在なら106歳。茶道師範が幽冥境を超えてのち、後継者をえられなかった、か。