宇治
 話はふられて、第二弾。それは修学旅行生を迎えるにはどうする、か。
またまた発言順は「18年間阿寒湖支所で観光行政実務一筋から社会教育機関の長」についで、二番目に。

 「そうですねー、京都府宇治市の訪問客受け入れ基盤=『ストーリー・源氏物語』ということを考えませんか」。
 「宇治市はですねー、駅を降りたらすぐに『茶壺型の郵便ポスト』があって、1)『宇治の銘茶』産地と、訴えています」。
 観光客は急いで「2)平等院鳳凰堂に向かっていそぎますよねー」。高校生も、迎える市民も、鳳凰堂が極楽浄土を今に再現、藤原頼通建立とは承知しています。

 「しかし、どうして鳳凰堂が宇治に、また宇治が茶の産地であるのか、訪問する人のなかにはまだ知っていない人が相当におるのですよ」。
 「答えは、『宇治が京の貴族たちの別邸』、つまり別荘地だったから」。
 「もうひとつ、宇治の市民も訪問する人も、宇治川こそ『源氏物語』むすびの十帖に配された『宇治十帖』の舞台」と、知っているわけですよ」

 「それだもの、岸辺から宇治川の川面を眺めて、『入水した女性を、端正な顔立ちの若き僧が救い」あげて、そこに『女人成仏の必然」を思いえがく」。
 特に「女人成仏の必然」は、瀬戸内寂聴師あたりの訳本から示されているようにおもうので、宇治川の岸辺、宇治川の川面に、「新たなる物語」が創造されたのかも。
 ただ、ここまで。それでは、釧路湿原国立公園や阿寒摩周国立公園に修学旅行生をうけいれる「積極的なムーブメント」は起案されないのだろう」。

 その一は「アイヌ民族の伝承説話」かも知れないし、二には「アイヌ民族社会の<限りない未来永劫の持続性>」かも。
 あるいはその三に「壮大な生物界の、生態系・生物多様性・食物連鎖や光合成のダイナミズム」なのかも。
 そこには「蓄積された想像力に裏打ちされた<イメージ世界の具現化=物語創造>が不可欠」ではないか、と。そこの点を、コーディネーターに強く期待した点でもあったのだ。

 元はと申すに、「観光とは=魂を揺るがす<出会い>&<おもてなし>」と括ってみることにした。
 余計なことを「追々、ヒトは孤独になる、そのときに<良い人生であった>と思える記憶、出会い、体験が<観光の醍醐味>では?」など、余分なことを申し上げた。
 そこを「高齢者向き」と受け止められたか、かえす刀で「修学旅行生=若者」吸引で、切り返されたのかも。

 若者対応は京・宇治の対応で 240512「復刻『阿寒国立公園の三恩人+プラス』を語る」の鼎談第二弾。