天帝感謝祭、転じて「晴天&無事故」祈願 釧路運動神社201028
 天帝感謝祭、転じて「晴天&無事故」祈願 釧路運動神社201028

「釧路市民運動会」。長い歴史、人口の6割を集めたこともある、マチ中の一大イベント。



 昭和33年6月15日の市民運動会記録。
 「運動神社は祠を新築してグランド東側の小高い丘に移され、前夜祭はその社前で行われ、晴天と無事故を祈願することになった」と書く。

 確かに、小高い丘。
 そこに小社があって、「晴天祈願で、前夜に祭事が行われる」。かく、聴かされていた。
 毎年、隣接といえるかどうか。近くで高等女学校で発足した新制高校の一年生。先輩はこの運動会に参加するのがナライであった。
 
 大正7年6月16日、「正午の休憩時間に天帝感謝祭が行われた」とある。

 大正15年6月20日の市民運動会記録に、
 「浦見町武富私道のお稲荷さんから古い祠(ほこら)を譲り受け『運動神社』を建立した」と、起源を記載。

 ここまで、会場は「春採公園グランド」であった。

 昭和8年、前年に完成した「釧路市設グランド」。
 市民運動会は新設の会場に移り、「運動神社」も移設した」と記載されている。

 昭和31年6月17日。会場名は「釧路市設陸上競技場」。そう変更されたらしい。
 「天帝感謝祭を『晴天、競技感謝祭』と改称したが内容は従前どおりであった」と。

 昭和31年。この年は「もはや、戦後ではない」が、『経済白書』に登場した。
 「天帝」の表現は「晴天」に変更。「内容は従前どおり」は、含蓄があるのかも。

 『釧路市民運動会年表』に記載。佐藤公則氏の著作。