武家社会に生きた公家女性
 久保貴子著「武家社会に生きた公家女性」。女性史を構成する一翼に、徳川家に嫁いだ公家、皇女の存在を掲げる。

 徳川は大名家の婚姻について干渉する一方、将軍家として他大名には許さない公家・皇女との婚姻をすすめて宗家としての格の違いを示していた。

 公武合体という思想もあれば、大政委任という側面もあった。どちらにしても京都政権との一定の関係が、権力両立の基礎とされていたためであろう。

 そのために、東下する女性の当事者は、運命の転換を結果した一方、居住空間としての「大奥」では、武家風・公家風のせめぎあいが展開されたことも知られている。

 当事者の女性は、転換する運命のなかで、いかなる役割を果たしたのか、また、時代の波に流されたのか。微妙なバランスと思惑の中で、公家・武家の間をとりもち政権の安定に腐心した様子が、明らかにされる。

 この種の論考を解するには、系図が不可欠であると思った。手元に系図を置いて読まない限り、次ぎつぎに展開する人脈をホローすることは難しい。人名を理解しようとはせずに、体制の問題として読むことに努めたが、系譜がつながらなくては、問題の位置づけが見えてこない。

 そこに一考を要する。読後の感である。(林玲子編『近世の女性』 中央公論社 『日本の近世15』 1998年)。