2010 08/02 19:34
Category : 日記
檄をとばしたつもりだった。何人かの胸の熾火に火をつけたつもりだった。そう思いたがっていた。コトバとしては一切のリアクション無し。万が一を想定し、それでも昨日の未明には、うつべき手のガイドとすべき案を送った。これもまた、届かず。十年前のちょうど今ごろだったか、須賀川の森で、同じような数日があったことを唐突に思い出した。蝉時雨と夕焼けと満天の星空とその夜空をあざやかに染めた花火をホテルの窓からながめ、渡辺と二人、福島を後にした夜のこと。じれるような時間が過ぎ、一切の音沙汰がないまま、しかしあのときは確実に進行していったことがあった。それがその後十年、奇妙な交遊のきっかけとなった佐藤前知事との歳月。いまなお“千年相聞”を福島からスタートさせたいと望むいちばんの理由である。湯治部は、いつのまにか広げすぎたのかもしれない。慣れだけが存在理由となっていたのかもしれない。生き腐れ、というコトバがあったかどうか。ただ、そんなつまらないコトバだけがフラッシュしつづけている。何が粋かよ気がつく時はみんな手遅れ吹きざらし…と書いたのはたしか斉藤竜鳳だったか。おれも、歳だな。自分だけが見えていないことが多くなりすぎた。むじなの森にあって湯治部にないもの。それを探す気力が、いまのおれには、無い。