酔生夢死した池田さん
おれが仕事を一緒にしたのはトヨタ博物館が最初だった。9面マルチ[揺籃]と33面マルチ[曼荼羅]。次が未来博1000inch3D。そして夢工場330inchHDと情報館と環境館。10年足らずの間に、たった3回の機会だったにもかかわらず、ずいぶん鮮烈な印象を残して、逝った。有栖川のMAVの後、井口の誘いで軽い打ち上げに。当面の仕上げ祝いと、池田への献杯を井口の提案とおごりで。ソバを食べにいくまでの時間待ちのつもりだったが、そのまま2時間あまり話し込んだ。話のうねりの合間に、なんどか池田さんとの仕事の話が出た。それぞれの距離や温度差は違っても、話題のたびに話の口火を切った当人は涙を浮かべていたように見えた。バーのほの暗さが、その時間によく似合っていた。これからは撮影や編集のメンバーにも呼びかけ、毎回かるく打ち上げをしようと、帰りの車の中で酔った井口がなんども繰り返した。多摩川の手前で降ろしてくれ。橋を歩いて渡りたい、と言い張るので降ろし、別れた。気になったのでそのまま渡辺とタバコ2本分灰にした。で、橋を徐行で。ちょうど真ん中あたりで水銀灯に浮かび上がった後ろ姿を見つけた。近寄り、声をかけた。素直に乗ってきた。家まで送り、別れた。いろいろな想いがわけもなく交差しながら吐き出されていった…ふしぎな秋の夜だった。バーで祝杯をあげたのは、井口、武田、相馬、古山、渡辺。池田さん、そういうふうに最初の夜が過ぎたよ。酒がすべてだといって主食もおかずもすべて日本酒で済ましてしまったのだから、ま、本望とも言えるだろうけど。もうすこしのあいだ、いいのができましたね、という声を聞きたかった気もするよ。会津で一緒に雪崩に埋められた“相棒”だったのに、ね。もう南郷村の花泉をとどけなくていいんだと思うと、おれたちのあの“むじなの森”がすこしだけ遠ざかった気もして、さみしいよ。3D復活のニュースが聞こえはじめていたのに、な。