それはそっちの問題でしょう
と言われたと渡辺が笑いながら付け加えた。それはまことにおっしゃる通りではあるが、報告を聞き電話を切ってからしばらくたって、ひっかかった。潮時、かもしれないなと。小深田時代からだから六本木とは20年近くなる。長さは、しかし何の意味もないのだと、これは自明。言われるに事欠いて、という思いが濃い。借りをつくったままだからなのかどうか。こんな啖呵を切られて、その軒下借りて何をつなげばいいというのか。ことの発端は相馬でも、根っこには永くひとところでやりすぎた慣れと甘えがおれにあったということ。苦笑するしかない。頭下げるしかないのだが、下げてまで持続していく情熱大陸がいや半島がいや小島がいや波間に浮かぶ木っ端が、おれには皆無。辻がいれば、賢明がいれば“痛み入ります”と鼻で笑ってやめちまうところだが、このごろのおれは事態と感情の発露の間に深い溝というかズレあり。タイミングがちよっとズレたらさらにみっともないのだと、苦笑しつつ明日を処理、と決めた。ただ、六本木の編集は、これをもって最後としたい。酔客のカラオケが流れ込んできたA編、地下刑務所のような第2VTCと記憶の襞に刻んだ数々の眠れない夜も、現在とその先があってこそ。“ワタシ”ではなく“ワタシタチ”ですと言うのなら、喜んで了解しよう。アメーバ相手に“道”を説いてもせん無きことだ。ヴェルトを引き上げた本当の理由が、安井がとった“シフト”であることを思い出しながら、六本木の矜持も、こんなものかと落胆。