醜悪としかいいようのないドラゴンズ采配。
たまたま最終戦の七回からをオンエアで。何の興味も湧かなくなったニッポンプロ野球ではあるが、ダルビッシュと山井のスゴイ奮戦ぶりに目が釘付けに。息を潜めて8回裏が終わるのを待ち、残る1回の山井のシリーズ史上初となる完全試合成立を見守ろうとしていた。冷たい水を2杯のみはやるこころを抑え、ニッポンプロ野球もおもしれーじゃん、とリラックスしたところで、まさかっ!の交代。テレビを消した。ドラゴンズがどうのこうのというより、落合のドグマなのだとは思う。成してきた足跡の美しさに比して、この男の話し方がずっと納得できなかった。とはいえ、あのナガシマの最後の日々を彩った一人ではある。どこかで憎めない思いがあった。中日の監督になってからの言動にうっとうしさを感じながらも、だ。最後の一回を見事に三人で切った岩瀬は、ほんとうに嬉しかったのだろうか。意地の悪いカメラが拾ったベンチの山井は、アホな解説が伝えるように、確かに笑みは浮かべていた。しかしあの笑みは、ほんとうに笑みだったのか。ニッポンプロ野球の負の遺産が総掛かりになって演じさせた踏み違えた矜持ではなかったか。ドラゴンズの選手やファンたちは、あの時間をほんとうに祝い続けることが可能なのか。不思議というより、なにかしみじみとむなしい。ナガシマがやめてからは野茂やイチローやマツイや松阪を通してみるベースボールを気に入っている。今夜の顛末をたまたま見てしまい、なぜ自分がニッポンプロ野球をつまらなく思うようになったのか、よく理解できた気がする。あれは貧者の戯れ事にすぎない。野に遊ぶ、ほとばしる歓びが微塵もない。中学の頃、多摩川の2軍球場のある土手で、ナガシマに握手してもらった、あの火照るような感覚は、皆無である。この国の政治や社会とこれほどシンクロしているのだから、きっとニッポンプロ野球こそが「国技」なのだろう。そういえばニッポンのオリンピック用監督は、あのホシノ。若い頃にバット片手にバリケードつぶしをしていた明大のコチコチの右翼学生のなれのはて。こいつもたしかドラゴンズ。ま、いいか。どうでも