三ヶ月待たせ、挫折十度以上
それにしてもよく待っていてくれた。アタマ下げる他に術がない。なぜ万全だと意気込みだけが募りながら書きはじめては中断しつづけることになったのか、いまも不明。デジタルジャパネスクをスタートし100タイトルまで荒編し、充足感に浸っているさなかに樋口と会い、マルフの話しを依頼され、その奇妙な符牒に気が昂ぶったのは事実。思いの濃さが臆病の度合いを強めたのだとは思う。が、それにしてもだ。彼らは奇妙なほど静かな待ち方をしてくれていた。面罵されても電話をたたき切られても罵倒のメールをもらっても返すコトバもないと感じはじめたのが9月上旬。夢工場が終わるまではという内心のエクスキューズもむなしくなり出した頃だ。さらにそれから二ヶ月が過ぎた。一ヶ月くらい前からは電話に出るのも不安になっていた。あやまるには遅過ぎるし、いつまでにと確約したくても確信が持てなかった。結局、渡辺にイヤな思いをさせつづけ、すぐにでもと言わせつづけた。樋口は意地になっていたとしか思えない。彼には、大きな借りができた。ほとんど死に体となったおれを見捨てずにいてくれたのだ。仕事というより、友情としかいいようがない。だから返しようもない借りなのだと思う。書いたものは、なぜかすーっと満足が行くもので、ああ俺はこういうことを三ヶ月前から書きたかったのだと素直に感じるほどだった。まことに奇妙なふしぎきわまりない三ヶ月となった。明日というかひとねむりしたら奈良へ。三週間にわたる奈良ロケのスタート。ただし刃こぼれのように行ったり来りとなるが。倉持さん、鈴木さん、長岡たちと過ごせるのだけが救いだ。コロンビアで東京星菫派の基本styleを一緒につくったあの三人に、こんなものが書けたよ、と企画書を読ませるのが楽しみだ。
胸のつかえが、やっととれたぞ。