雪崩れは
たぶん怒りだったのだ。あの日が雲一つなく晴れ渡ったのも、そのことを知らせる警告だったのだ。あの冬の同じ日の青と白の平穏なガラスの彫刻のような瞬間とまったく同じだった。そのことにどこかで気づいていたのだと思う。押しつぶされそうになった瞬間、ああこれでいいんだ、と平穏そのものの自分がいた。痛みもかすり傷もなく、まわりの動揺がまるで別世界のようだった。たぶん、怒りだと、どこかで思っていた。寝込んでしまって、水引に行けなかったことが引っかかっていただけじゃない。何をしているのだ、と確かに呟く声があった。五十嵐なのか、あの満月の月光なのか、風に揺れるコスモスなのか。気配。己の中のもうひとつの自身。たぶん、そういうことなのだ。所詮は、その場その場で選んでいるに過ぎない。右か否、左か、と。そういうことのすべてが、あの一瞬に結晶していた。ではなぜ、ダイジョウブだったのか。それがわからない。カラダがココロノヨウニふたつあったらいいと痛切に思う。引き裂けるものなら、引き裂いて投げ出したい、と歯がみが止まらず。
ふと気づいたら七月七日を十日も過ぎていた。跡地を忘れていたわけではないが、はじめてこの時期に、あの「森」の記憶から遠くなっていた。なにをやってるんだ、おれは。

On 05.12.19 3:41 AM, "Toru Mashiko" <mashiko@mars.dti.ne.jp> wrote:
> おれは館岩に行くのが怖いよ。
> 怖くて怖くてしかたがないよ。