なるようになるのだ
とはいいながら、少しだけがっくりきた。なぜがっくりと来るのか一時間だけ悩んでみたが、わからず。たぶんどこかでつきまとっていた中途半端さなのだとは思うが。にしても、どうしてああいう発端となったのか、そこが謎といえば謎のまま。予兆はあったのか、あったとすればどこからだったのか。それとも“状況”なのか…

ま、状況だったのだとは思う。シチュエーションだったのだと言う他にない。なぜか、というより、いろいろなことやものが揃ってしまった、のだということ。あるかないかの気配については、ま、いつものことでもある。

たぶん、こころはカラダよりもずっとタフでそして弱々しいものなのだ。カラダを鍛えられるようにこころも鍛えられたらと思わないでもないが、鍛えたこころで向うとすれば、ここまで深まることもなかったのではないか。そこがバカバカしくも難しい。やれやれと、こんなにはやく立ち直れるとは想定外。真冬。あそこで消えていれば余韻となったけど、それではあっちとこっちに申し開きが立たぬ。そういうことだ。

それにしてもジャスト60分しか経過していない。自分でもあきれるほどに何も、無い。これが本音だったのだとすれば、我ながらいささか不実過ぎないかと鼻白む思いもあり。