目には目、人生には人生。
手直しの編集は渡辺たちに任せることにさせてもらい、ひたすら寝ることにした。で、たぶん2時には読みかけの文庫本のページを行きつ戻りつしているのに気づいて読書ランプを消した。そこまで覚えていたことを気づいたのが4時間後。トイレに行き水を1杯飲みタバコに目もくれずベッドに戻った。2分後には熟睡していたのではないか。目覚めたら午後3時をまわっていた。計13時間、ほとんど熟睡。頭のあちこちに断片的に残っていた不愉快な記憶物質がきれいに拭われていた。おれの怒りは、ほんとうに他愛がない。良く眠ったら溶けてしまう。ちよっと情けない気もするが、あれもこれも放り出しひっくり返したいと息巻いていた昨日朝から昼下がりまでの“劇場”など、跡形も無くなっていたよ。Anの怒りにすり替えられたのが大きくはあったけど、な。
コーヒーを淹れながら、風呂上がりの汗をさます。2時間かけて朝兼昼飯を食べ、朝刊3紙を3日分精読。爆睡後の上機嫌が、ヒューザーと東横インのゲス代表二人の記事で萎えかける。この二人は、しかし生かしておいていいのだろうか。マスコミはなぜこんな事件に“民主主義”の幻想を持ち込もうとするのだろうか。彼らはゲス二人の至近距離まで大手を振って近づけるのだ。突き出すのはすくなくともマイクではないだろう。たちの悪すぎる事件についていつも思うのだが、“イスラム原理主義”でいいのではないか。目には目、歯には歯。そして人生には人生。そうあるのがいちばんでそれ以外に納得はない、そう思う。バランスの良い社会であるべきだろう。