ジョン・レノンの“スタンバイミー”
クライアントが帰り、D2も帰った後、Mixが終わりコピーをしているときにIguがシャンパンを買ってスタジオに戻ってきた。もうよせ、と言おうと思ったが、そのコトバを飲み込む。KawaとSoumの目頭が目に入った。まいったよ。Soumが上司と連れ立って小石川のオフィスに挨拶にきたのが11年と3週間前。賢明が東京から消えて2年半経った冬。賢明と渡辺の三人で穂高の家具屋で選んだでかい一枚板のテーブルをはさんで会ったことをぼんやりと覚えている。Soumは緊張していたのか怒ったような表情を崩さず、とても丁寧でおかしかった。それから年に何タイトルを仕上げてきたか。11年で100か200か。狭いスタジオでIguから手渡されたシャンパンボトルを一生懸命こじあけるSoumを見ながら、ああこいつは最初から毛がなかったな、とはじめての夜を思い出し、鼻の奥が痛くなった。プラスチックのコップにIguがシャンパンを7人分注ぐ。居合わせた7人が寄り集まって乾杯。誰かが献杯、かなと呟いた。別な誰かが、はじまりを祝って、と呟いた。誰からともなく、おつかれさまでした、とコトバが洩れた。7人が狭いスタジオの虚空を見上げ、おつかれさまでした、と唱和。Iguが音楽をかけた。ジョン・レノンの“スタンバイミー”。おれが東京でいちばん信頼してきた選曲家Iguが選んだその曲がrstudioM1に流れ、満ちていった。そういえばこの間買ったiPodmovieの記念刻印もstand by me.だったなと思ったとたんに顔を向けていられなくなった。いつものディレクターズチェアに座り帰る支度をはじめた。その背中にKawaの号泣。ゴメンナサイ、ゴメンナサイと途切れ途切れに聴こえた。地下から表に出た。助手席に座った途端、どっと疲れが出た。徒労と絶望にとらわれた。奈良、古河と11年間に撮った万を越すカットがフラッシュしていった。俎板の鯉となってこの二ヶ月、いっさいじたばたせずに顔を上げていた二人を思い浮かべた。一緒に退くべきではないかと数日前に詰め寄ってきたIguの顔を浮かべた。完徹をしながら黙々と粛々とスタジオを清めていた一昨日の二人を思った。陣を払うべきか否か、いま自問している。その選択は昨日までまったく想像すらしていなかった。総退陣。それも悪かねえか、彼らと別れ、二時間。思いもしなかった迷いを迷っている。感傷に過ぎないと思いながら、咽喉まで一つのコトバがこみあけてきている。

2006.1.16 19時過ぎ rスタジオに居合わせた7人は
Soum Kawa Igu Take Mano Wata T.Mであることを記しておきたい。
ちあきなおみの“ダンチョネ節”と宇崎竜童の“夜霧のブルース”を聴きながら

  ♪どこで散るやら 果てるやら ダンチョネ
   友よ あの娘よ さようなら ダンチョネ
   おれが死んだら 三途の川で 
   鬼を相手に 相撲を取る ダンチョネ

  ♪青い夜霧に灯影が紅い
   どうせおいらは独り者
   夢のすまろかおんきゅの街か
   あぁぁ 波の音にも血が騒ぐ
   かわいあの子が夜霧の中へ
   投げた涙のリラの花
   何も言わぬが笑ってみせる
   あぁぁ これが男と言うものさ

   花のホールで踊っちゃいても
   春を待たないエトランゼ
   男同士の相合い傘で
   あぁぁ 嵐呼ぶよな夜が更ける

なお、理由はありませんが
本日1月16日をもって湯治部メーリングを閉じます。
その旨をアナウンスした上で、ML関係者を絞り直し
本来の湯治部メンバーを対象に再開予定。