「万物は冬に雪崩れていくがよい追憶にのみいまはいるのだ」
雨。タバコを買いがてら公園を散歩。肌寒くはあるが濃密で匂うような気配も。なつかしい女の肌に顔をうずめているような奇妙な感触。寝不足を解消するため早寝しようと目論んだが、ことしはじめてというか数ヶ月ぶりに港に着けたようで、もったいなくて起きていた。明日のMAVが終われば当面スケジュールされている課題はゼロ。あっちがゼロになるのはもしかしたら一年以上ぶりかもしれない。やっと。ほんとうにやっと、晴れ晴れとした気分で立ち向かうべきことに向かい合える時間ができるのだ。夏の盛りのメモやメールなどを読み返しながら数時間。真冬の春のような夜更けにふり返る猛夏は、しかし陽炎のように遠い記憶となっていた。ふとアポリネールとローランサンの話を思い出す。♪ミラボー橋の下 セーヌは流れる だったか。感傷ではなく、歳月のことを。福島さんとセッションした立原道造の「夏の弔ひ」のこともまた、唐突に。コロムビアの天然の日本第一巻「光の日本」の冒頭だった。夏の終わりに鶴の湯で撮った満月に狼の遠吠えを添え、福島さんの絶叫を一首置いてみた。たしか

  「万物は冬に雪崩れていくがよい追憶にのみいまはいるのだ」

だったはず。山下亜美はイタリアに移ってすでに三年。さていまいちどdigitalで手がけるとして、誰と組もうか。光と風。この2タイトルだけは、なにがあろうと凌駕したい。越せなければ、先へは行けない。行く意味もない。映像の目算は、ほぼついた。そのほかの展開はともあれ、この2本だけは、おなじフレームで今と明日に備えたい。こいつをカタチにできさえすれば、あとはどうにでも跳べる。そう確信している。そう確信するほかにないと決めている。

恥じらっている歳でもないので臆面も無く書いておこう。

追憶ではなく、希望。
あってほしいと願う明日。
それを、初夢と決め、熟睡したい。
ことしはじめての数ヶ月ぶりの熟睡を。