♪どこで散るやら 果てるやら ダンチョネ
ちあきなおみの“ダンチョネ節”を聴きながら、メーリングを書いた。

これ以上はのぞめない。
そういう場所まで届いた、と思った。
熱でぼんやりしたアタマだったけど
伝えられるだけは伝えておきたいと思った。
関わった一人ひとりを抱きしめ、
これでいい、と伝えてやりたかったけど
居合わせた連中に声をかけるだけで
せいいっぱいだった。
崩れ落ちそうなだるさが夕方からつづいた。
クスリと栄養剤を渡辺に買ってきてもらったが
効果なし。目をあけているのがやっとだった。
十二年。
百本を越えたのか、二百本を数えたのか。
いずれにしても、到達点に達した、というのが実感。
ここではもう何もやることがない、
そう実感しながら脱力していった。
いまもまだ脱力がとまらない。
深い沼の底に沈んでいくような気分が濃い。
ちあきなおみの歌を聴いていると
もういいよ、
と言われているような気がしてならない。
これから何をどうやって行けばいいのか
見当もつかない。深い霧の中にいるようだ。
もう、ここまででいいかな、と思う。
生きていくのをやめてもいいかな、と思う。
達成感ではない。
達成したいことが、じつは何もないのだと
気づいてしまったこと。
索漠。

館岩で終わっていればと、痛切に思う。
目が回っている。
このままどこかに落ちていければ。
眠ってしまい、そのまま閉じられたら。

  ♪どこで散るやら 果てるやら ダンチョネ
   友よ あの娘よ さようなら ダンチョネ
   おれが死んだら 三途の川で 
   鬼を相手に 相撲を取る ダンチョネ

仕事の行き先などどうでもいい。
誰がやろうとどうなろうと興味もない。
取るに足らないことにもかかわらず
妙な熱気でごまかしながら
身過ぎ世過ぎを続けすぎたのだ。
あれもごまかしこれもごまかし。
嘆くだけの気力もない。

目を閉じてしまいたい。