で、ピリオッドをひとつ。
624と401。1025
ここで打ち止めとしたい。25はフェイドアウトのためのノリシロ。美しきことつくしてよ、ということである。そのまま持続していてもいいように思ってもいたが、ここには身を切るような八倒は見つけられそうもない。滑っていくだけの時間についやす余裕と欲求がどうあがいてみても見つけ出せない。非表示のレッドカードをそっと切り出すことにする。見えなければそれは永遠に不明。いまならつけるキズも浅くすむ。浅き夢、ということで…。かのうなかぎり、やさしくふるまうことができた。はず。余韻としても、悪くはないだろう。あの、ピリオッドに、いつか気づいてくれるだろう。秋のさなかだ。あきてしまう寸前に逃亡。これがベストだろう。さよなら。とはすこし違うようにも思う。交叉しきれないだろうという諦観。これもすこし違う。深さ。かな。見えきってしまうことへの畏れ。これがいちばん近いように感じる。だから何だ、と我に返ってしまうことへの恐怖?ま、そんなところか。何を視野に入れた思いこみだっのか、そこがよくわからない。いのちの不安。これは近いだろうな。もうひとつわからないのは、掛川のこと。あそこで何が引っかかったのか。底の底で揺らいでいたのはAなのかZなのか。それが未だにわからない。もしAなら何年越しになるのか。3年か。4年か。Zなら2年。しかし、それは淡すぎる。どこかで重ね、すり替えた。あるいはそのあたりなのだろう。なんどかからんだ視線を見誤ったのか。気配を確かめるまもなくフェイドアウトしていったのか。させられたのか。そのすき間を埋めているうちに、いつかすり替わってしまった。それが事実なのではないのか。真実ではなく、記述可能な事実。しかし、これを告げることはあり得ない。なにより逃げるための煙幕代わりということも。自分でつかみきれない底の底。高低のある波のように高まって消えていく衝動の意味がつかめない。もう二ヶ月くらいその気配にふれていない。忘れていたとも鎮めていたとも、どうにもつかみきれず。いずれにせよ、ダウトだ。厭きたことだけに、こだわっておくしかない。霜降。下弦の月がみごとな夜のこと。