幻滅と追憶と。
夏休中の古谷徹は短パンにアロハでやってきた。原稿のその場修正もなく和気あいあいと進んだ。仕事は、こうだといいな、とひさしぶりに。明日は山口ロケハン。PのMAは無視。いやおれが無視されたようなもの。作品といっておいて、音楽いじらせろとは片腹痛い。スポンサー仕事は、しょせんちんどん屋商売。わかってはいるつもりでも、ときに自分にだまされる。明後日は本編集とMA2本が同時進行。あれもこれも…とつい書きそうになるが、もうそれはいい。夜の東京を見下ろしながら、なんてつまらない光景なのかと気が抜けた。階段一つ使ったわけでもないのに息があがった。つまらねえな、とため息を飲み込んだ。飲み込みながら、それでは不正義だと思った。同じコトバを吐き出しながら、三日のいのちか、とがく然。どのひとこともただ上滑りに滑降していくだけでとどまらない。なにがたのしいのだろうと想像しようとするが、どのイメージも砂のようにカタチをとどめてはくれず。なぜ、こんなことにざわめいていたのか、不思議でならなかった。まるで大林いうところの「夏休はなぜ終わるのか」そのものだ。もう、飽きた。と、感じている自分に気づき、その急変におどろきもしたが、ま、そんなところだ。冷静に戻ってしまったら、何の甲斐もねえじゃねえか、と知りながら冷えていく気分をとどめられなかった。東京は蒸し暑過ぎる。南馬込をしょっちゅう通っているのに、今夜はひさしぶりに窓明かりに目が行った。もう居るはずもないと思いながらも、あの窓明かりを見上げながら悔し涙にくれた幾晩もの眠れぬ夜を思い浮かべた。三歳上の小さな夜の子。コワモテに囲まれ生きた心地もなかったが、どこかでここで終わってもいい、終わりたいとも願っていた。脳が焼けるような夏。ジェームズ坂の夏。山王の盛夏。ペンだこではなく雀だこが指にあった夏。無頼生活の最後の夏。ま、いまも無頼といえば五十歩百歩か。あのままつづけていれば、いまごろは企業舎弟か温泉やくざ、いや閑古鳥の鳴く温泉場で客のいない射的屋の店番あたりか。はじめて雀荘で目が合った瞬間、やくざの情婦かと思った。因縁をつけられているのかと見まがえた。直後に目の端に笑みが浮かぶのを見た瞬間に、脳天をひっぱたかれたような衝撃があった。数日後にはじめて卓を囲んだ時、真っ正面に座って上目遣いに笑みをぶつけられた。それから、にらみつけられた。雀荘に通いはじめて、はじめて勝ち負けを気にせず打牌することになった夜。ひりひりするような気分で数時間が過ぎ、ふいに席を立って帰っていった。残ったおれは、どうなったのか。たぶんぼろぼろに負けながら、すべての仕草を思い出していたはず。それから三ヶ月の夏があった。むじなの森で、また夏を生きるまで長い時間が過ぎた。あの夏の終わりに、なぜ滅びなかったのか、今もわからない。あるいは滅んでいることに今も気づけずにいるだけなのか。タクシーの後部座席からカラダを斜めにして見上げたその窓に、明かりがついていたのかどうか。ついていたようにも見え、街灯が複雑に反射しているだけのようにも見えた。幸せであってくれたら、とそれだけを思った。夜の街で、いつかあんな目つきと出逢ったら、いまのおれはどうなるのだろうか…。知りたくもあり知りたくもなし。