陰翳礼讃から輝度礼讃へ /参照
陰翳礼讃から輝度礼讃へ

 33年(昭和8年)、文豪谷崎潤一郎は著書『陰翳礼讃』の中で「美というものは、常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰影のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように、陰翳を利用するに到った。事実、日本の座敷の美は、陰翳の濃淡の美によって生まれているので、それ以外に何もない」と述べている。谷崎の『陰翳礼讃』は、当時の日本人の「あかり」に対する美意識を決定づけるものとなった。さらに谷崎は続けて、和室のほの白い紙障子に触れて、「春夏秋冬、晴れた日も曇った日も、朝も、昼も、夕も、殆どそのほの白さに変化がない。(中略)−ほの白い紙の反射が、床の間の濃い闇を追い払うには力が足らず、却って闇に弾ね返されながら、明暗の区別のつかぬ混迷の世界を現じつつあるからである。…諸君はそういう座敷へ這入ったときに、…時間の経過が分からなくなってしまい、知らぬ間に年月が流れて、出てきたときは、白髪の老人になりはせぬかというような、『悠久』に対する一種の怖を抱いたことがないであろうか」。
 ここで谷崎潤一郎は、戦前の日本家屋におけるほの暗い(ほの白い)明かりの中に、日本人の明暗感、美意識を見いだそうと試みた。前述したように、私たち日本人は陰影の濃い生活環境のなかでは、その陰影の細かな「ゆらぎ」に対して愛着を持ち、そのほの白さ、ほの暗さのなかに美を発見してきたのである。しかし、この「陰翳礼讃」の美意識が現在まで続いているかというと疑問が残る。
 谷崎が『陰翳礼讃』を書いた昭和8年ごろの日本家屋の明るさは、平均80ルックス(ルックスは面積当たりに入射する光の量を表し、明るさの単位として使われる)と言われている。しかし、現在、私たちの住居やオフィスは平均400ルックス以上であり、煌々とした蛍光灯の白じろとした明るさの中に、私たちは住んでいる。谷崎のころの5倍の明るさであり、蛍光灯は極めて陰翳に乏しい環境をつくり出す。現在、わが国のオフィス、家屋の照明が、まるで昼間のように「白々」と輝いていることは、多くの人が指摘しているところである。
 このような生活環境では、人々の美意識は「陰翳礼讃」から「輝度礼讃」へと確実に変化している。「輝度礼讃」の環境下では、高彩度、高明度の色彩、白・黒、白・赤、赤・黒などの対照トーン配色が好まれ、逆に曖昧な色、淡い色、中間色などの色は、その特色を喪失して、嫌われるようになる。特に演色性の高い照明器具の開発、カラーテレビの圧倒的な普及、生活環境の映像化、デジタルカラーの登場のなかで、私たちは高彩度、高輝度の色彩に取り囲まれている。このような環境下では、谷崎の説く「陰翳礼讃」は喪失し、鮮やかでコントラストの明確な色彩への嗜好が強くなっているのである。

 以上、日本人の色彩感覚は、かつて照明度の低い生活環境で養われた色彩感覚−陰翳礼讃、地味色、暈しなどの生活色彩−から脱皮して、高彩度、高輝度、明確なコントラストの配色などに変容しつつある。モダン・モダンのなかで埋没しつつあった高彩度、高明度、高輝度の色は、今、ポスト・モダン色彩として蘇生しつつある。日本人は、無彩色を中心とした色彩を基底にして、一層鮮やかで、明快な色彩感覚に変わっていくと思われる。

編集 ぽち : 読んでみます
編集 akariya : 夜は暗くてはいけないか(暗さの文化論)乾 正雄 著 朝日選書600 :参考まで,,,,,