3年前。その先のムーランルージュ
件名: [tojibu:00208] 夢工場 2002
送信日時: 2002年 1月 9日 水曜日 3:52 AM
差出人: Toru Mashiko
返信先: tojibu@ml-c3.infoseek.co.jp
宛先:湯治部 通信

その先の《夢》とムーラン・ルージュ


田中さんは、97年の冬ですと言明。
あれから4年が経った。
いくつかの家が消え、いくつかの新しい家が建ち、
体験すべき館も片手を越えた。
もう完成だね、と笑うと、ほぼ、と答えた。

工場の敷地の片隅でスタートした作り手の《夢》が
やっと町のカタチを整えた。
シンボルツリーも《けやき》とし、
1000足らずだった豆電球が万を数えて梢の先まできらめいていた。

すべての棟に明りをともし、
遊歩道や庭の部分に百人あまりの人間を配して、
ほんとうの街の暮らしを再現することも、もう現実的になった。

今年はこの《街》で、
花見、蛍狩り、祭り、紅葉、クリスマス、雪合戦など、仕込んでみたい。

一年後には、《人へ、街へ…》という企業精神そのものを象徴する
《ライフ、モダン》集としてまとめることができるはず。
TV-CM、VP、DVD-ROM、ウエブコンテンツ、シック・シティ、
納得工房などのウェルカム映像、各地のモデルルームでのウエルカム映像…と、
使い道は限りないだろう。

たとえばDVD-ROM。
基本プランはインタラクティブ型の《ビデオカタログ》の共通トップページとする。
ある休日の昼下がり。真俯瞰の《街》には
さまざまな家族たちが暮らしている。
マッチ箱のような小さな家々の並ぶ《街》で、
ある家族は庭で親子がガーデニング。
別な家族は家の周りの道路を掃除。
さらにキャッチボールをする親子。犬の散歩をする子供たち。
サッカーに興じる子供たち。クルマで出かける家族。
自転車で買い物に行く親子。
宅配ピザを届ける青年。速達を届けるポストマン。

訪ねてくる人、帰っていく人…

マッチ箱のような家の1つが強調されると、
その家についてのメインストーリー画面、
コンセプト画面、技術・構造画面、快適・居住性能画面などメニュー画面となる。

そんな導入部として、全製品のビデオカタログのトップ画面として用いることで、
強力なブランドイメージを構築する。

一軒の家をつくるということは、
数十年にわたる家族の物語の舞台を提供することであり、
その舞台は複数のセットが同時並行的に存在する
さらに大いなる《舞台》のピースであること。

家づくりとは同時に《街づくり》にほかならず、
積水ハウスが40年を越える歴史の中で挑んできたものこそが、
家=街=社会をつくり、守っていくことなのだ、
という姿勢を1シーンで表現しきる、
動くブランドマークのようなものとして用いていく。

企業CMとしてイメージを周知させつつ、
いっせいに各媒体での展開に着手。
田中さん達が4年間でここまで膨らませた《夢工場》が、
そんなことを夢想させた。

熱の塊になって話し続ける彼の背後で日が落ちていった。
夕やみの中で、これを見せたかったと彼が言う1万個の豆電球が灯り、
大きなけやきの裸木が、一瞬のうちに黄金の葉を繁らせたようにきらめいた。

工場の人たちとスタッフ総出で
雪かきをしてつくりあげたパート1から4年。
彼らの《熱》が、どんな現実を結び、
さらにこれから先どんな夢を描こうとしているのか、
それだけを知りたくて出かけた。

暗闇の中で、深々と下げられた頭を前に、
広告屋としての矜持がうずく。
南風に乗って東北道を北に向かいながら、
須賀川や会津の人たちのことを思い浮かべた。
どこにもどんな所にも、熱い場所があり、熱い人たちがいる。

広告とは、こういう人たちの間を、
過不足のないまっとうな橋で結ぶこと、
そんな学生のようなことを考えながら、
夜の東北道を東京に向かった。
帰りは、北風。窓を開けていると凍えるようだった。
道中のBGMは「ムーラン・ルージュ」のサントラ盤。
あれやこれやのシーンを頭の中でリプレイしながら、
仕事始めとしては上々じゃねえか、そう思った。
寒かったので銀座でホットチョコレートを飲み、
六本木の時代屋で釜飯を食って帰った。