《青い空》★★★★
海老沢泰久著/文芸春秋刊

帯に「日本はなぜ神のいない国になったのか」
構想三十年!
幕末から明治へ、
キリシタン類族として
生まれた若者を通して
日本人の信仰と宗教を問う、
著者初の長編歴史小説!!
700ページ余りの大冊だったので
海老沢の小説じゃ、と懸念を感じながらも手に取った。
読み出せば、確かに一気で、面白くはあった。
しかし、どこかスッキリしないものが残った。
水風呂につかってぼんやりと振り返った。

たぶん。
資料と物語が乖離しすぎているのではないか。
晩年の司馬遼太郎の小説が陥りがちだった“欠陥”。
海老沢の胸の中では消化されているのだろうが
読み手にとっては引用partにかかるたびに興をそがれた。
トラックで資料を買込んだと豪語する司馬遼太郎の後年が
いずれもこういう傾向にあった。
物語の波間に身を任せようとすると出てくる
“著者見解”。視点の混乱がスーリートの綾を断ちきる“やぼ”。
司馬遼太郎は、意外なことに艶のある小説家でありながら
この“著者見解”をサラリーマンの手軽な“勉強”に使われるようになって
物語作家としての水準を下げた。
年を考えれば、海老沢も正念場のはず。
こんな隘路に入ることもねえだろうに。
まことに興味魅かれる面白さのある題材だけに惜しい。

他者の葬儀にほとんど出たことがない。
指折り数えられていどの経験だが、
腹も断たぬような下世話な、あれは説教というのか
世まい言というのか、坊主の話に
ひごろまともに見えていた人たちがこぞって背を丸め
両手を合わせ題目を唱えているように聞こえることに
嫌悪より奇異さだけを感じていた。
トゲのようにひっかかったその思いを放っておいたが
海老沢の物語的には失敗した“力作”が
そのあたりの奇異な印象に淡い光を投げたように感じる。
いまさらではあるが
しみじみとこの国がなぜダメなのか、
そういうことを確かめさせられた。
海老沢が取り上げた本質的な意味での
“信仰”“神”の歴史的な欠落が
日の本のいびつな国風を作り上げてきたのだと
徒労感とともに思う。