亡命
ことの真偽は不明だが
報じられた「事実」だけを見るなら
「亡命者」にとっての帰属先は「亡命先」以外のどこにもない。
たとえ家族がいずこにあろうとも。
そういう時代に生きた者を
異なる時代の尺度で推し量るのは
いかに無定見を旗印にした国だろうと、
片腹痛いことではないのか。

愛しさや哀しみを越える思いがあることの
どこに不思議があるというのか。