ポール・ヴィリリォ著作メモ2
■訳者による解説全文
 最先端の科学思想を語るヴィリリオが、実は「手の思想家」であると言えば驚くだろうか。事実、多くのメディア・アーティストに影響を与え、またメディア・アーティストの方でも、しばしば言及するのがヴィリリオの名前だ。それは彼がアートの二つの語義(「芸術」と「技術」)の重なる場所で思索を続けているからだ。
 彼の出自をたどれば、このことは自然に了解できるだろう。彼の出発点は建築、すなわち「空間アート」だった。戦後の近代建築は、直交する壁と床によって空間を閉じ、人々の動きや、外部環境とのインターフェイスを遮断する「閉鎖空間」を次々と作り出していった。それはコルビジェですら例外ではない。こういった建築空間に、再び「動き」と人々の「生」を取り戻すために、ヴィリリオは「フォンクション・オブリック(斜め機能)」という概念を提案し、「建築原理」グループを組織する。それは、「大地は平らなところはない」という当たり前の事実を、建築空間に導入するものだった。壁を斜めに配置することによって、外と内の壁は崩れ、壁の両面は、ともに生活空間の内側であり外側であるようになる。斜めの床は、肉体に対して「動き」をアフォードする。さらに曲線を描く床面は・・・
 こういった魅力的な提言にも関わらず、効率的な居住空間を求める戦後の近代建築は、ヴィリリオから実質的な活動の場を奪っていった。そして以降、彼は建築理論家として現代建築に大きな影響を与えるとともに、「自然空間」を解体する建築を背後で支えている世界像を、「知覚」レベルから考察していく。
 まず彼が発見したのは、「時間」と「速度」による「旧世界の解体」だった。「知覚空間」は、すでに「時間」の「加速」によって、「肉体」レベルの知覚空間を破壊していた。実際、飛行機で旅行する人にとって、飛行場を結ぶ「実空間」は、距離と言う「抽象」以外は存在しない。実空間といわれる場に存在していた匂いや色は実体を喪失し、代わりに座席と機内の小さな空間と茫洋とした雲だけが存在するようになる。
 芸術は知覚の最前線だ。それ故こういった現実を前に、アート・シーンは変わらざるを得ない。1960年代末に出現した「ハイパー・リアリズム」は、「写実芸術(リアリズム)」はリアルでないことを逆説的に証明するものだった。
 しかし、さらに決定的な時代が到来する。辛うじて保たれていた時間的な秩序が、「瞬間の君臨」によって解体されてしまうからだ。「光の速度」による瞬時コミュニケーション技術は、かつて神だけに属していた「世界」と「力」を人間にもたらす。実際に私たちは「いつでも」「どこにでも」存在できるようになり、そしてその存在は「肉体」を越え、「エネルギーの及ぶ場」に、「力」にのみ依存するようになるからだ。
 新しい技術によって、私たちは「日本のここ」に居て「パリのそこ」を見ることができるし、語りかけることができる。こういった場の特性は、全く新しい性質を帯びる。すなわち、かつては存在する事物があり、それを表象するものがメディアであった。そして存在しない事物は、「モンタージュ」という技法によって間接的に表象するしかなかった。実体という信仰の上で、世界は堅固に成り立っているように思えたものだ。 しかし瞬間によって生まれる新たな時空では、電磁エネルギーという「力」が離れた場を結びつけた途端「新しい場―現実」が生まれる。 しかしエネルギーが及ばないと、その場は即座に消滅してしまう。ここでは旧来の意味での存在と表象の区別はない。存在か非在かの区別だけが点滅を繰り返すランプのように存在するだけだ。そして実在しない事物は、モンタージュによって間接的に表象されるのではなく、電磁エネルギーの操作によって実際に作り出される。さらに私たちは、このように作り出された場で生まれた世界像(例えばパリの街角に置かれたビデオカメラに写るナマの映像)を、現実のものとして受容し、生活世界の中に組み入れているのだ。
 こういった世界では、人間の肉体は再構成されるようになる。「視覚」を司る眼は、もはや眼球だけに止まらない。遠くに置かれた視覚機械も自己世界を構成する肉体となる。ステラークといった前衛パフォーマンサーが試みているのは、こういった新しい拡張された人間像といえるだろう。さらに重要なのは、私たちが肉眼で見ていた今までの世界像を、私たちは現実の姿と信仰してきたが、それは一つの世界像に過ぎないということをヴィリリオが明らかにしていることだ。
 彼は本書で天文学の最新の理論を取り上げて次のように説明する。人間が天体を観察するとき、光が拡散していく光円錐と呼ばれる境界の外にある世界は見ることができない(なぜなら光円錐の外は、光より速い速度で移動しなければ到達することはできないから)。しかし重力場が光を歪めている現象(アインシュタイン効果)を観察するとき、そこに作用している力は、光円錐の外にある肉眼で見えない重力場を含めた相互作用力によるものなのだ。とするならば、「可視世界」だけを観察しても実際の宇宙を知ることはできないことになる。こうして彼は、重力場による光の屈折という現象そのものを観察することによって天体を知ることができると考え、本書で重力天文学を提唱した。そしてそれは一〇年後に有効な手段であることが実証された。
 彼が考えたのは、事物そのものを現実の基本に置くのでなく、「事物間の現象」を、そしてまた「人間と事物との間の関係」を、言い換えれば表象されたものを本質として捉え直すことだった。ちょうど現代芸術が事物を表象することから離れて、表象の秩序そのものを構成することによって、あるいは主体と事物の間に成立する表象の秩序を構成することによって飛躍を遂げたように。
(土屋進)
●新評論刊 四六上製 236頁 本体2400円�+税 ISBN4-7948-0598-5