浅間山
■浅間山

長野・群馬県境にそびえる三重式の成層・円錐(えんすい)火山。標高2568メートル。おもに安山岩からなる。有史以後(685年以後)も近年までしきりに噴火を繰り返してきた日本の代表的活火山。那須(なす)、富士両火山帯が合する位置にあるが、普通、前者に属させる。更新世(洪積世)末期、数万年前にまず成層・円錐火山が形成されたのち、大規模な水蒸気爆発でその東半が吹き飛ばされ、カルデラを生じたが、同山の西側はいまも第一外輪山(黒斑(くろふ)山など)として残存する。その後、南側山腹に寄生火山の石尊(せきそん)山(溶岩円頂丘)を生じた。約2万年前、そのカルデラ内に粘り強い石英安山岩(デイサイト)質の仏岩(ほとけいわ)溶岩流が噴出して偏平な楯状(たてじょう)火山ができ、その東方には石英安山岩質の寄生火山、小浅間(溶岩円頂丘)を生じた。約1万1000年前、大爆発して石英安山岩質の火山砕屑(さいせつ)物を関東北部一帯に厚く降り積もらせ、かつ、同質の軽石流が火山の南北両側の麓(ふもと)を広く覆った。現世に入り、約5000年前にカルデラ内で噴火活動が再開され、第二外輪山、前掛(まえかけ)山が形成されてきた。
 有史以後の二大噴火は1281年(弘安4)と1783年(天明3)におき、ともに大爆発、火砕流、溶岩流が発生し、噴出物総量は前者は約30億トン、後者は約10億トン。後者では死者1152人を出した。鎌原(かんばら)遺跡はそのときのものである。天明大噴火後、前掛山火口内に中央火口丘の釜(かま)山が生まれた。釜山火口はほぼ円形で直径約350メートルであるが、深さは絶えず変動し(0〜250メートル)、活動期には浅くなる。爆発型噴火が特徴で、噴出物総量数十万立方メートル、噴煙を山頂上数千メートル以上にあげ、噴石、降灰、爆風などでしばしば惨害を出す。
 1911年(明治44)わが国最初の火山観測所を震災予防調査会が設け、22年(大正11)創設の軽井沢測候所と、33年(昭和8)創設の東京大学地震研究所浅間山支所がその観測研究を受け継いだ。測候所は火山状況を定期(毎月)、臨時の火山情報として公表している。山頂部は裸地であるが、山腹にはカラマツ、アカマツ、シラカンバなどの森林や低木草原が広がり、裾野(すその)は開拓され、軽井沢、北軽井沢の高原別荘地帯がある。夏の避暑、春秋の行楽、冬のスケートと来遊者が絶えない。風光に恵まれ、野鳥に富み、上信越(じょうしんえつ)高原国立公園に属する。
JR信越本線中軽井沢、信濃追分(しなのおいわけ)、小諸(こもろ)と、吾妻(あがつま)線長野原草津口の各駅から登山路が通じ、約4時間で登頂できるが、近年は、頂部は常時立入り禁止になっている。小諸市立と、長野原町立の火山博物館がある。〈諏訪 彰〉

【地】5万分の1地形図「軽井沢」「上田」
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