春雷とバラの風呂とsummertime123
菱沼さんがオフィスに、summertime2002春バージョンを持参で遊びに。
入れ違いでおれは会えなかったが、渡辺経由でCD-ROMを受け取った。
全123曲のsummertime。
昨日、湯治部のメーリングに「弥生を閉じる」と書いた。
あけて今日は春嵐。春雷の夕。
ノートブックとデスクトップにsummertime123をコピーし、
House of ROSEに。
今日はクナイプは買わずに、ひさしぶりにバラの花のバスジュエルを選ぶ。
EVELYN。製法を変えたので前よりも生の香りが濃くなったと勧められた。
風呂に入れ、ノートブックを浴室の前に。
菱沼さんいちおしのマヘリア・ジャクソンをリピートにし、
バラの風呂につかった。

上がってシャワーで洗い流しても、
いつまでもバラの香りがまとわりついている。
悪くねえな、とひとりごち、リピートを解除。
ランダムに再生。
窓を開け放ち、嵐の後のオゾンがぴりぴりする空気を部屋に入れる。
裸の胸から湯気が上がり、窓の外の夜に溶けていく。
マンションの入り口を見下ろすと、狼藉の後のように水銀灯に照らされた花びら。
水たまりにけなげに色を散らしている。

彼がはじめてsummertimeコレクションを聴かせてくれたのは、
むじなの森のフィナーレの夜だった。
夏の終りに、聴かされたsummertimeは、
そのまま挽歌のごとく耳に残った。
あれからちょうど半年が過ぎた。
術後のため今年の花見をあきらめたという彼に、
森田童子の「春爛漫」を添えた桜ムービーを贈った。
彼はご家族でリビングの電気を消して、
それぞれのマックでディスプレイの花見の宴を催してくれたらしい。
そのメールを読みながら干刈あがたのデビュー短編「樹下の家族」を思い浮かべた。
仕事についていない無頼な暮らしに明け暮れていたころに読んだせいか
鮮烈な印象が残っている。

6ヶ月の時間を経てさらに曲数の増えたsummertimeコレクションは、
挽歌の気配は皆無。
はじまっていく新しい夏の時間を、
しずかに掻き立てていく、そんな気分がある。

春を花吹雪とともに打ち払って、夏に迎え、
そう後押しされるような想いが強い。
30曲ほど聴いた。
まだ90曲余り残っている。
夏は、ここからはじめよう。

菱沼さん、ありがとうございました。
しかし、よくぞここまで集めたもんだな。
感服。