沙羅という名と巨木伝。
安藤さんの娘は小学2年生。
兄の夏太郎くんに彼女の名はどんな字を書くのか、と聞き、ちょっと不思議な気分にさせられた。

去年の秋にウエブを通して知った
「沙羅源氏」の、入院中の「沙羅さん」と同じ字だった。

重い痾で入院を続けているという「沙羅さん」を励まそうと
彼女の年若い友人たちが集って、かつて「沙羅さん」が主宰していた勉強会をウエブ上で再現しているページを偶然知り、
知遇を得た。

回復を願うこといがいに、なす術もないのだが、
抱え込んだ難問にどこまでもけなげに明るく対処している人たちに、柄にもなく共感した。

共感し、手助けできることがあればと思っても
祈るほかに術もなく、もどかしさが募っていた。

絶対安静だという人のために
せめて月でも送ろうと、渡辺が東奔西走したのも、
その歯がゆさゆえのこと。

知ったのは秋。
巡り巡ってもう桜の季節。

おれは「沙羅さん」という人の顔も声も知らない。
数年前に書いたというウエブ日記の一部を読ませてもらったことと、
彼女を支えようという若い友人たちの書くことだけで、想像しているだけだ。

映像の仕事をしながら
一切の姿やカタチ、色、声音の手がかりもなく
にもかかわらず奇妙なまでに「沙羅」という名の病床の人のことを
はっきりと思い描くことができていた。

いわきの夜。
細い鎌のような三日月の宵に出あった
安藤さんの小学校二年生の娘さんは
抱きしめたくなるようなはにかみかたをする少女だった。
兄の夏太郎くんから「沙羅」という字を教えられ、どんな少女か実際に見る勇気が持てず、
渡辺に頼んで撮影してもらう間、クルマで待っていた。
だから当人の顔を実際にこの目で見たわけではない。
撮影した映像を帰りのクルマの中で見せられて、
その話し声と照れくさそうな表情を見て
なぜだか納得できた。
名にふさわしい子だな、わけもなくそう思った。

病床にいる沙羅さんが、どんな女性なのか
知る由もないが、しかし
その人はきっと少女の頃に
今夜いわきで知った沙羅ちゃんのように
はずかしがりやでかわいい子だったのだろうなと、そのはずだと、思えた。

彫刻家安藤さんは、
巨木の本を読んで、日本中の巨木を見て歩いたらしい。
その巨木のひとつがいわきにあり、それが縁で12年前に彫刻家の奥さんと移り住んだとか。

昔、大阪の花博の仕事で「生命樹」の話を
まとめたことがあり、その仕事を機に牧野某の「本朝巨木伝」という本を手に入れて読みふけったことがある。

彼が巨木を求めて日本中をさまよい歩いた、という時期と重なっている。
だからどうした、ということもないが、
沙羅という名といい、巨木といい、
観測史上最速の開花宣言が首都に出された日には
どこかよく似合う気がする。

いくつもの点が線になり面となっていく。
そんな予感もある。
ま、いいじゃねえか。


十数年前の花博の《生命樹》の冒頭は

  「わたしは樹木だ」

たしかそんなふうに始めた。