2002 01/30 05:13
Category : 日記
年末に福田さんからすすめられて買っておいたDVD。
現在をモノローグ、過去をカラーというスタイルは想像以上に斬新。コロンブスの卵だ。
現在から過去へとつなげる一枚の写真のインパクトがとても良かった。
数十年前には、この国のどこの村にでもあり得たような風景と人の気配が、何よりも音として迫ってきたことにおどろいた。
モノローグの多用が想像以上の効果をあげていた。
静謐でまことに気高い作品だった。
ただ、慌ただしい日常を引きずって映画館に入ると、どうか。
一人でビデオで観るほうが似合う、そんな映画なのだと思う。
田中真紀子の更迭でコイズミの化けの皮もすっかりはがれ落ちたようだけど、
それにしても雪印といい内閣といい、
この国の「男」はほんとうに腐りきっているのだなと笑いだしたくなる。
なんとか言う失言つづきの農政大臣はどうして「更迭」されないのか。
雪印は、ほんとうに企業として存続させておいてもいいのか。
食品だけではなく、モノづくりを業とするすべての「メーカー」は、
あの一件で駄目押しをされたことにならないのか。
経営者が引責ではなく、組織自体が引責、つまり社会的に自らを抹消すべきではないのか。
路頭に迷うべきではないのか。
いまどき街のチンピラでも、あんな杜撰ないんちきはしないだろう。
田中真紀子の会見の時の涙をコイズミは「女は涙を流せば…」と切って捨てたが、
雪印の引責辞任発表で1粒の涙もなかったことは、
奇異ではないか。男なら、号泣し慟哭すべき切所ではなかったのか。
コイズミは田中真紀子を「抜擢」したのではなかったのか。
見る目が無かったということになったのなら、コイズミ自身が落涙すべきではないのか。
それが「男」ではないのか。
いまはもうこの国のどこにも見かけなくなってしまった、
そしてつい数十年前にはどこでも見かけた
空気、光、風の流れ、季節の移ろい、
なによりもストレートなまでの人の想いのやりとりを観ながら、
つまらない世情につい思いが向いた。
右翼でも左翼でも好いが
外務省のあんな木っ端役人が仮にも国会でぬけぬけと演じた猿芝居、
放っておいたら「男」がすたるぞ。
《初恋のきた道》で冒頭と最後に2度出てくるセリフがある。
「人の世は、志がつくる」
ほんとかよ、と思うか
ほんとだな、とうなずくか。
ま、そこが器量だろうね。
現在をモノローグ、過去をカラーというスタイルは想像以上に斬新。コロンブスの卵だ。
現在から過去へとつなげる一枚の写真のインパクトがとても良かった。
数十年前には、この国のどこの村にでもあり得たような風景と人の気配が、何よりも音として迫ってきたことにおどろいた。
モノローグの多用が想像以上の効果をあげていた。
静謐でまことに気高い作品だった。
ただ、慌ただしい日常を引きずって映画館に入ると、どうか。
一人でビデオで観るほうが似合う、そんな映画なのだと思う。
田中真紀子の更迭でコイズミの化けの皮もすっかりはがれ落ちたようだけど、
それにしても雪印といい内閣といい、
この国の「男」はほんとうに腐りきっているのだなと笑いだしたくなる。
なんとか言う失言つづきの農政大臣はどうして「更迭」されないのか。
雪印は、ほんとうに企業として存続させておいてもいいのか。
食品だけではなく、モノづくりを業とするすべての「メーカー」は、
あの一件で駄目押しをされたことにならないのか。
経営者が引責ではなく、組織自体が引責、つまり社会的に自らを抹消すべきではないのか。
路頭に迷うべきではないのか。
いまどき街のチンピラでも、あんな杜撰ないんちきはしないだろう。
田中真紀子の会見の時の涙をコイズミは「女は涙を流せば…」と切って捨てたが、
雪印の引責辞任発表で1粒の涙もなかったことは、
奇異ではないか。男なら、号泣し慟哭すべき切所ではなかったのか。
コイズミは田中真紀子を「抜擢」したのではなかったのか。
見る目が無かったということになったのなら、コイズミ自身が落涙すべきではないのか。
それが「男」ではないのか。
いまはもうこの国のどこにも見かけなくなってしまった、
そしてつい数十年前にはどこでも見かけた
空気、光、風の流れ、季節の移ろい、
なによりもストレートなまでの人の想いのやりとりを観ながら、
つまらない世情につい思いが向いた。
右翼でも左翼でも好いが
外務省のあんな木っ端役人が仮にも国会でぬけぬけと演じた猿芝居、
放っておいたら「男」がすたるぞ。
《初恋のきた道》で冒頭と最後に2度出てくるセリフがある。
「人の世は、志がつくる」
ほんとかよ、と思うか
ほんとだな、とうなずくか。
ま、そこが器量だろうね。