秋の終わりの《春霞》の一日
春のような霞が東京をおおっている。
秋の最後のおだやかな週末となった。
ゆうべは十二時頃に黄色みの強い半月よりすこし膨らんだ月が沈んでいった。


ピースが切れて、ホープを買ったが、
飽きてきた。

ピークが過ぎていく思いがある。

ほんとうのところは、
キヤノンを書き終わったこと、
須賀川が完全に終わったことを自覚できたこと、
単に時間が経過したということなのか、判別つけがたい。

ただ、嵐のようにやってきた
マジックアワーが徐々に色褪せていき
ある熱病のような感覚が失せつつあるのを
強く自覚できるようになった。

これまでのラインとはまったく異なる
水の惑星ジ・アースの二年あまりの時間の
最後のピークと自分の中の仕事への屈託とが
重なり合って、強い共鳴現象のようなものを引き起こしていた
この数日はそんなふうに思えるようになった。

このあとの取り組み方が大きく変化していくのか
いままでの延長にあるのか
予想もつかないが、焦燥や混迷が潮が引くように消えていることに気づき、
一抹のさみしさを感じる。

自分でコントロールが利かない状況という
望んでも果たせない時間があった、ということだけが
ほっとする思いと同時に愛惜を生むのか。

春のような霞の中で、覚醒していく。


これも、いいじゃないか。