秋風
午前3時過ぎて、外は21℃。
台風は来るのか来ないのか、妖しい風が音を立てている。
このタイミングで21℃ということは、このまま秋だな。
窓を開けると、冷たい風が吹き込んでくる。

こんな風を感じると、安曇野が恋しくなる。
三、四日穂高に行ってみるか。

起きて台風がきれいに抜けていたら
東京を離れる、それだけ決めた。

同じスタイルの持続がやや疎ましく感じだしている。厭きたか。
見るべきものを見、感じとるべきものを感じてしまったのか。
底も頂上もすでに越えてしまったのか。
こんなていどか。

円環の中で考えても行き着くのは同じ場所。この環から抜け出てしまえば、そのとたんに目は醒める。はず。
醒めることがいやなのか。まだもう少しこの湯につかっていたいのか。そこのところがもどかしい。
語ることが少しずつむなしくなっていく。
時間の濃密さが日ごと夜ごとに褪せていく。


あの森に行ったのが6月の23日。
あれから三ヶ月近くが過ぎた。
空が、雲が、木々が、空気が
すべてがうすめられ、記録された一コマに堕ちていく。

《特別な場所》からありきたりのどこにでもある光景と時間に堕ちていく。



あのとき、スクリーンをぶった切っておけば、こんなくすぶった想いは残らなかったのだろうか。
とどめて、断ち切る。

最高の映像効果を、あの瞬間におれは逃している。


無意味さにこそ、意味があったのではないのか。
《外伝》などと称してお茶を濁していただけじゃないのか。
何も終わっていないにも関わらず、終わったことにしたことがすべての敗因ではないのか。
もしかすると、すごくナンセンスな遊びに呆けていたことになるのか。
客観すれば、ただの道化?



自業自得じゃねえか。