判官いずこにありや。
五時のCXで木村太郎は湾岸戦争でブッシュ父が最後にバグダッドまで徹底的に攻撃しなかったことをブッシュ息子は教訓にしていると思います。あのときの躊躇がその後に禍根を残したのだ、というような世迷い言を真顔で語って見せた。魯鈍なのか聡明なのかいつまでも戸惑わさせてくれる安藤さんは納得したのかしていないのかわからないいつもの不思議な笑みを見せていた。
お台場のおにゃんこテレビだから別にこれでもいいんだろーけど…

パールハーバーはラブロマンスを残したようだが日本人は「卑劣で卑怯なイエロー」として収容所に送られたわけだよな。
広島と長崎の後で京都も東京も叩いとけばよかったのか。
ナパームで焼き尽くしてソンミでやり放題、そのあとでハノイにミサイルの1000発も打ち込んでおけばよかったか。
癒しに行くのにほどのいい国になったからあれでよかったのか。アジアンテイストな雑貨に満ちていてステキだものなベトナムは。
占領軍相手に「性の防波堤」募集して良家の子女ならぬ既得権益を汲々として守ったのはどこの都のことだったのか。

木村太郎と安藤ゆーこがおにゃんこ放送局でどんなニュースを垂れ流してもかまわねえけど、ちと調子に乗りすぎてないか。

いまさらフジサンケイグループにいちゃもんつける気もないが、出がけだけにくすぶりが後を引く。

国のくびきを越えたものたちを相手に、国家というのはどんな戦いを用意しようとしているのか。
犠牲のすさまじさに茫然とさせられながらも、民主主義連合対テロリスト集団という構図が臆面もなく語り続けられることに慄然とせざるを得ない。
いまどきどこに民主主義があるのかね。

すこしばかり調子に乗り過ぎてはいないだろうか。おれも世界も。

テロリストを革命派と置き換えると、何か見方は変化するのだろうか。テロ行為を戦争行為と置き換えてみると、どこかで何かが逆転することはあるのだろうか。
真珠湾というのはアメリカにとって悲劇で、その当時の日本にとってはどんな意味があったのだろうか。
もし第二次大戦が異なる着地をしていたら、この国の歴史観で真珠湾はどんな位置づけになっていたのだろうか。

テロだとして、テロはなぜ起きたのか。起きるのか。奇襲はなぜ選ばれたのか。

大なるものがある。小なるものがいる。
矛盾が発生したときは同じフィールドで同じルールの元でフェアに戦うべきなのか。
どこの世界の歴史をひもとくとそういう夢想が記されているのか。

総力をあげて叩くという。
総力をあげて支持せよという。
裸の世界王に盲目の奴隷がこぞってついていく。そんな時代じゃねえだろう。

判官をひいきにする国じゃなかったのか。