ビリーの死の前後を確認し、納得。
アリー3の第12話から第17話までをレンタルビデオで見る。ティナ・ターナーまで出てきたのに興奮しながら、踊るアリーの目に映る客席の観客すべてがビリーの姿に置き換えられていく演出の着想に胸打たれた。
このシーンが永遠の別れへのみごとで美しい布石となっていることをあらためて確認。
偶然、オンエアでビリーの死の回を見てしまったときから渦巻いていた疑問が、おかげで昨夜すべて氷解したように思う。
「アリー」を複雑な構成をとる一人の女性の成長物語ととらえ直すと、「トレンド」の観点だけで語られるこの大河ストーリーにまた別な色彩が加えられるように感じる。
今週号のアエラで、アリーのユニセックストイレの特集をしていたが、ライターが企画の段階からこの発想にこだわっていたことを読み、納得。人間交差点としてのユニセックストイレ…清潔フェチ狂想曲のこの国では、逆立ちしてもムリだろうけど。

そんなわけで今日は古いティナ・ターナーのベスト盤を引っ張り出して繰り返しかけている。

明日は、白河の関。いよいよファイナルである。