裏磐梯とアジアカップと湯浅譲二
温泉に入ったら眠ってしまった。
ふと目覚めたら午前1時半。
あわててテレビをつける。
間に合った。
全試合観てきたアジアカップ決勝戦。
とりあえず先制したので安心して宿題にかかる。


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■湯浅譲二氏の起用について


[水の惑星 ジ・アース]を描こうとするにあたって心がけたのは
ありのままの自然を例にとりながら、特定のどの場所とも異なる
「普遍的なイメージ」を喚起させること。

たとえばよく知られた美しい滝があるとき
私たちがとらえようとするのは、その滝のある場所でも
誰もがうなずく名高い地名でもない。
それは、水源林のどこかでたたえられた天の水が、しみ出し、わき出しながら
無数の小さな流れをつくり、やがてひとつの巨大な流れとなって
「ほとばしっていく」瞬間が持つ、圧倒的なエネルギーである。
エネルギーのかたまりの周囲には、鳥や虫、花、草などのおびただしい数の
生命の群れが存在していることを、私たちは一人ひとりの固有性のなかで
記憶している。とらえたいのは、この私たち一人ひとりの中にDNAとして
埋め込まれた「いのちたちのざわめき」への共感であり共生感である。
年齢や性別を越えた、豊饒な生命=自然への共感と憧憬を引きだすこと。

福島県内のさまざまな「水のある光景」を題材に
その光景に潜む本質的な「いのちたちのざわめき」に焦点をあて
連続した大きな意味の世界を構築する。
そのことによって福島=日本=世界・地球を一直線に結ぶ
「美しい時間・美しい場所」の共時性がはじめてひとつの映像世界となる。
3DCGで描かれる「水の起源の旅」もまた、同様な世界観をもつものである。

音楽は、あるいは音に求められるのは
したがって耳になじむ聴きなれた心地よさではありえない。
福島の各地の水の光景と宇宙規模の時空間とが一つになって
「いのちたちのざわめき」の奇跡を映像的に融合していくための
誰も体験したことのない美しい「和音」である必要がある。
その音の作り手に要求されるのは
私たちが撮影対象を福島県内の「水の光景」に限定した意味を理解し
同時に宇宙規模の時空間と共存することの意図を正確に把握することである。

かけがえのない地域の固有性と世界=宇宙との融合という
壮大なスケールをあますところなく音の世界で表現できる才能として
私たちは作曲家・湯浅譲二氏を起用したいと考える。