「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」
冒頭の浜辺で少女時代のジャクリーヌが出会ったのが後の自分であったというエピローグによって、映画としての落とし前がきっちりつけられたことになる。ハリウッドにはつくれない大人の夢が、ここにある。リアリズムに落ちる薄皮一枚で踏みとどまる、これは大人のファンタジーだ。スターウォーズとディズニーが大手を振るアメリカにこの深さは望めない。アメリカは苦味止まりの国だから。何本か適当に抜き出して借りてきたうちの一本だったが、魅せられた。この暑い夜中にさめざめと泣かされました。

それにしてもだ、「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」というタイトルは、こりゃなんだ。日本ヘラルドはこんなタイトルをつけてしまって恥ずかしくはないのか。洋画の配給会社がどうせ日本人には通じないからといってアホなテレビ番組のような間の抜けたタイトルをつける悪癖はどんな時代がきたらなくなるのか。
へたすれば国内封切り前にウェブ経由で3日でソフトが届く時代に、いつまでこんなバカなことを続けているのだろうか。

「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」ではまるで安手のサスペンス。この映画は二人の姉妹の名前をそのままつけた原題によってのみ、作品が成立しているのじゃないのか。

映画は芸術であるという。
タイトルをこんな扱いする芸術というのはなんなんだろうな。

誰がいつまで
こんな無謀なことを許すのだろう。
感動した分だけ、腹も立つ。