子どもの空間:/5 母への恨み超え 「たたかれるための犬だった」
静寂に包まれた深夜の公園。小さな背を丸めて水をくむ子どもに気づいた人がいただろうか。

 恭司君(仮名)が小学5年生のころだった。ガスや電気を止められ、ろうそくの灯で暮らした。公園で1・5リットルのペットボトルに水を入れ、自宅へ運ぶ。洗濯や水風呂にも使うため、30~40往復した。鉛色の夜空に工場の煙突から煙が吐き出されていた。

 父は4歳のころいなくなった。母は生活保護費をもらうとパチンコに出かけ、しばらく帰らない。北九州市の公営アパートで、4人兄弟は借金取りにおびえていた。恭司君は上から2番目。夕食はいつもインスタントラーメン。金が尽きると、数キロ先のパチンコ店まで母を捜し歩いた。冬はジャンパーを着て布団をかぶり、押し入れで眠る。水だけで1週間過ごした夏もあった。

 小学校は余った給食を持ち帰らせた。弟の保育園に行くと園児の給食をくれた。スーパーの食料品売り場で試食をむさぼり、それでも足りなくてラーメンを万引きした。

 《深夜2時過ぎ、バス停で末の弟が母親を待っている》《三男 顔色悪く危険な状態 学校で小児科受診させる》《二男 スーパーのごみ箱あさっている》

 当時の学校関係者のメモに、兄弟のすさんだ暮らしが残されている。恭司君と兄は身長が約10センチ、体重が約6キロも平均より少なかった。

 母は大分県内の農家に生まれ、中学を出て工場に勤めた。結婚と離婚を繰り返し、22歳の時に出会ったスナック店員との間に恭司君は生まれた。三男をでき愛する一方で、恭司君には暴力をふるった。あざが絶えず、口の中を切った時は水が飲めなかった。

 小学6年の時、母のパチンコ通いがばれて生活保護が打ち切られた。月5万円の児童扶養手当だけが親子5人の生活費になった。手足を震わせ、歯をカチカチいわせて、恭司君は民家にしのびこんだ。侵入盗を繰り返し、警官に取り押さえられた時には、窃盗額は100万円を超えていた。

 「ぼくは犬ぞりの一番後ろの犬。たたかれるためだけに存在する。なんで世界はこんなふうに回るのだろうと恨みながら走る犬だったんです」

 転機は、土井高徳さん(52)との出会いだった。少年院を出て17歳になった恭司君は、北九州市で土井さんの営む里親ホームに入った。7人の子どもたちとの共同生活。「こだわりの強さを生かせ」と起床係、消灯係を任された。妻えり子さん(52)にアルファベットから教わり、昨春、定時制高校に合格した。

 奥歯をかみ砕きそうになるほど恨んだ。夢の中でしか「お母さん」と呼べなかった。その母の行方が今は分からない。

 忘れていることが恭司君にもある。借金取りに押しかけられたころ、親子が住む部屋に通った近所の女性(60)は語る。「子どもの声がするんです。閉めたドアの向こうから『帰れ』と。お母さんがいじめられると思ったんでしょうね」。必死に母を守ろうとする幼い声が今も耳に残る。【野倉恵】=つづく

 ◇背景に貧困層増加

 全国の児童相談所が05年度に対応した虐待相談は3万4400件を超えた。親から捨てられた4人兄弟の生活を描いた映画「誰も知らない」(是枝裕和監督)のようなネグレクト(養育放棄)はほかにもある。背後には貧困層の増加が指摘される。生活保護受給世帯は05年度、月平均104万世帯を超えた。

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毎日新聞 2007年1月6日 東京朝刊