2020年07月の記事


高御座
京都御所の高御座の特別見学へ行って来ました。

今上陛下が御即位された時の高御座が8月末まで公開されています(休止日あり)

見学は整理券方式で、朝の8時40分から整理券が1時間に100人程度ずつ発行されます。

平日だと8時くらいで大丈夫かと思います。

平日でも、けっこう人が集まっていました。

普段は見れない御所の中を見れるのも良いですし、やはり高御座をみたいですね。

無料パンフレットもいただけますし、写真撮影も大丈夫です。

御所内の売店では、高御座の記念符も授与されています。

また、もう一度見に行きたいです。
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聖地をたずねて
京都国立博物館で開催中の特別展「聖地をたずねて・西国三十三所の信仰と至宝」を見に行きました。

混むかなと思ってたのですが、平日はわりと空いてるみたいで、サクサク見物できました。

開場が9時15分で、見学は9時30分からになります。

コンビニとかでチケット売ってますから、それを用意しておけばチケットで並ばなくて済みます。

西国三十三所の、仏像や絵巻や仏画など貴重な宝物が展示されています。

江戸時代や明治の納経帳やお軸とか、面白かったです。

京都とかで知ってるお寺の寺宝とかも展示されてて、こんなのあったんやと感心してしまいますね。

わりとサクサク見たので1時間くらいでまわりましたが、じっくり見たら2時間くらいかかりますね。

記念品ショップで、御朱印帳と散華を買ってしまいました。

また、機会があればもう1度見に行きたいです。
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賀茂みたらし茶屋
賀茂みたらし茶屋のみたらし団子いただきました。

下鴨神社の御手洗祭に行きましたが、コロナの影響で御手洗祭は中止で、足を水に浸けるのも禁止です。

いつもなら、賀茂みたらし茶屋の露店が出てるのですが、やはり露店も中止でした。

やはり、みたらし団子が食べたいので、賀茂みたらし茶屋まで行って、みたらし団子をいただいて来ました。

このみたらし団子は、水の泡を表した物だそうで、御手洗祭がみたらし団子の発祥とも言われています。

みたらし茶屋でいただくのは久しぶりですね。

蜜もたっぷりでおさじでかけられるし、美味しくいただいて帰りました。
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猿田彦祭
京都の東山にある霊明神社の猿田彦祭にお詣りして来ました。

先日にお詣りした時に、24日に猿田彦祭があるのを知りましたので、行こうと思っていました。

私が着いた時が神事が始まる時だったので参列させていただいて、玉串奉奠までさせていただきました。

知り合いの方もお詣りに来られてたので、神事が終わった後はしばし歓談して和んでいました。

途中の坂さえなければ、もっと頻繁にお詣り出来るのですけどね(苦笑)
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宝蔵寺byミルクボーイ
「うちのオカンがな、京都で欲しい御朱印があるねんけど名前が判らへん言うてんねん」

「ほな一緒に考えてあげるから、何か特徴言うてみ」

「それがな、伊藤若冲のお寺や言うてんねん」

「それやったら宝蔵寺ちゃうのん、宝蔵寺は伊藤若冲の菩提寺で若冲が建てた親族のお墓もあるねんで」

「そう思って聞いたんやけど、静かな所のお寺で交通の便も悪いて言うねん」

「ほな宝蔵寺ちゃうか、宝蔵寺は繁華街の新京極の近くにあるしな、京阪電車も地下鉄もバスも近いしな、他に何か言うてなかったか」

「オカンが言うには、娘さんが音楽家らしいねん」

「そら宝蔵寺やがな、娘さんが美人でクラリネット奏者やがな」

「そう思てんけどな、そこはお寺の人が厳しいらしいねん」

「ほしたら宝蔵寺ちがうか、宝蔵寺は御住職も奥さんもスタッフの人もみんな親切でええ人ばかりやしな、他に何か言うてなかったか」

「それがな、毎月7日、21日、24日が限定御朱印あるみたいやねん」

「やっぱり宝蔵寺やがな、宝蔵寺は7日は八臂辨財天、21日は弘法大師、24日は子安地蔵尊の御縁日で限定御朱印いただけるがな」

「おれもそう思てんけどな、そこは石段をいっぱい登らなあかんみたいやねん」

「ほな宝蔵寺ちがうか、宝蔵寺に石段あらへんからな、他に何か言うてなかったか」

「オカンが言うにはドクロの御朱印で有名らしいねん」

「そらもう宝蔵寺やがな、宝蔵寺って言うたらドクロの御朱印って言うくらい有名なんやから、宝蔵寺できまりやがな」

「おれもそう思って言うたんやけど、オカンが言うには阿弥陀如来が御本尊や言うねん」

「そやから宝蔵寺やがな、浄土宗西山深草派のお寺で阿弥陀如来が御本尊やがな、とにかく宝蔵寺行ってこい」
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廬山寺
京都の廬山寺さんへ行って来ました。

廬山寺さんは、紫式部の邸宅址として、源氏物語の執筆地の1つとされています。

源氏庭と名付けられたお庭には桔梗の花が植えられて、毎年の夏にはきれいな花を咲かせてくれます。

私も毎年見るのが楽しみで、今年も小雨のお天気でしたが、ゆっくりと桔梗を楽しめました。

小雨の平日でも、そこそこ拝観の方も来られてました。

また、特別展として「明智光秀の念持仏と廬山寺」を開催されてて、明
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六道珍皇寺
京都の六道珍皇寺さんの、夏季えんま詣特別寺宝展へ行って来ました。

16日は閻魔様の御縁日で、朝から閻魔堂で法要をされてて参加していました。

コロナの影響でどうかなと思ってましたが、朝から割りと人も来てましたし、御朱印も直書きもされていて、マスクや消毒以外は通常の特別拝観の感じでした。

8月の六道まいりは新盆の方だけとされていますが、それでも来たら仕方ないなぁと言う感じでした。

今年はコロナで、ご先祖様も感染しないように帰省自粛にしてもらいましょうかね。
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崇徳院地蔵
京都の聖護院積善院準提堂の崇徳院準提堂の崇徳院地蔵尊があります。

崇徳院さまは、保元の乱で敗れて仁和寺で出家したにも関わらず、讃岐へ配流されました。

いろいろ苦渋を舐められ悲憤のうちに亡くなられました。

その後、都に大火や疫病、地震などが続くと、これは崇徳院の祟りだと噂されるようになり、怒りを鎮めるために地蔵尊が造られて崇徳院地蔵尊として祀られました。

やがて、月日が経つと、崇徳院地蔵は語感が似てるからか人食い地蔵と呼ばれるようになったと言います。

崇徳院さまにすれば言いがかりで迷惑な事ですね。

それでも、人食い地蔵と呼ばれながらも無病息災にお参りする人は多かったそうです。

昔は、崇徳院地蔵尊は小さな木のお堂に囲まれて暗い雰囲気でしたが、最近はお堂は無くなって、日の下にお祀りされています。
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機物神社
雨の中を、交野市の機物神社へお詣りして来ました。

機物神社は祭神の天棚機比売大神が織姫にあたるとして、織姫の神社とされています。

私も、毎年のように七夕の前にはお詣りに出かけています。

毎年の七夕祭には、境内にたくさんの笹が建てられて多くの参拝者で賑わいますが、今年はやはりコロナの影響で中止にされたそうです。

交野市の観光キャラでもある織姫ちゃんも寂しそうですね。

宮司さんと少しお話しましたが、せめて雨だけでも止んで欲しいと言われていました。

こちらの神社は、織姫と彦星の絵馬が可愛くて人気なんですよ。
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天得院
京都の東福寺塔頭の天得院の桔梗を愛でる特別拝観へ行って来ました。

天得院は、通常は非公開のお寺で、初夏の桔梗の時期と秋の紅葉の時期に特別公開をされています。

私も、毎年桔梗を楽しみに拝観させていただいています。

前は少し早めに開門されたりしたのですが、ご住職が代わられたらしく、時間ちょうどの開門になってるそうです。

日曜日とあって、開門時間にはそこそこの人が来られてて、拝観時に手の消毒と検温がありました。

わりと狭くて密になるから仕方ないですね。

桔梗は見頃になってて、紫の桔梗や白い桔梗がきれいに咲いていました。
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しょうぐう七夕まつり
京都の法住寺さんの、しょうぐう七夕まつりの写仏に行って来ました。

七夕までの限定で、1回に7人なので朝から人も多かったです。

9時前には2回分が埋まってました。

写仏と言うか塗り絵で、お題の紙に色を塗って仕上げていきます。

参加すると見開きの御朱印を書いていただけます。

今回はコンテストみたいになってて、応募して入賞すると景品がもらえると言う事でみんな気合い入れて頑張ってますね。

私も事前にプランを考えてたのですが、実際に書くとなかなか思い通りに行かないですね。

持って帰って、家でじっくり描きたいですわ。
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二尊院
京都嵯峨野の二尊院さんへ行って来ました。

青もみじの清々しさが良いですね。

花手水もされてて、周りの半夏生と花手水のコラボが素敵です。

今の時期だけの取り合わせですね。

他にも境内のいくつかに鉢や瓶に花が浮かべられてて良かったです、どこにあるのか探すのも楽しみですね。
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安倍晴明神社
大阪の阿倍野区に安倍晴明神社があります。

京都の晴明神社が安倍晴明の邸宅付近(実際はブライトンホテル近く)で祀られているのに対して、大阪の安倍晴明神社は阿倍野と言う地名からも安倍晴明の生誕地として祀られています。

そもそも、安倍晴明の生誕地には幾つか説があるのですが、大阪説・讃岐説・茨城説等があります。

この中で最も有力と言われるのが、大阪説だそうです。

「葛乃葉伝説」によると、晴明の父は大阪市阿倍野区阿倍野の出身とされています。

千年以上も昔に、阿倍野に「安倍保名」(あべのやすな)という男が住んでいました。

あるとき、安倍保名が和泉の信田明神にお参りをして帰ろうとした時に、狩りで追われた白狐が逃げてきたので、保名はこれをかくまってあげました。

その後、白狐は「葛乃葉」と言う女性に身を変えて保名のところへ来ます。

保名と葛乃葉はやがて愛し合い、結婚して阿部神社の近くに住み、やがて子供が生まれると「安倍童子」(晴明の幼名)と名付けました。

その後に、葛乃葉は白狐の正体がばれてしまい、有名な子別れで「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」の歌を残して去っていくのですね。

その後に、安倍童子は成長して安倍晴明と言う天才陰陽師へとなるわけですね。

これは、安倍晴明の凄さを伝説化するために、普通の人ではなく白狐と人との間に出来た子で不思議な力を持っていたとした伝説でしょうね。

晴明が阿倍野の出身というのは、安倍晴明神社の記録としても残っているそうです。

安倍晴明神社に伝わる「安倍晴明宮御社伝書」には、安倍晴明が亡くなったことを惜しんだ上皇が、生誕の地に晴明を祭らせることを晴明の子孫に命じ、亡くなって二年後の寛弘4年(1007年)に完成したのが、安倍晴明神社であると記載されているそうです。

その安倍晴明神社は、近くに鎮座する阿倍王子神社の境外摂社と言う位置にあります。

祭神の安倍晴明はこの地で生まれたと伝えられて祀られているそうです。

先にも書いたように社伝の「晴明宮御社伝書」によると創建は1007年(寛弘4年)で、代々に晴明の子孫と称する保田家が社家として奉仕し、江戸時代には代々の大坂城代が参拝にくるほど有力な神社であったそうですが、幕末には衰微し、明治時代には小さな祠と石碑のみになってしまったと言います。

しかし、明治時代末期になると復興計画が持ち出されて、1921年(大正10年)には阿倍王子神社の末社として認可されました。

やがて、社家の子孫である保田家より旧社地の寄進を受け、1925年(大正14年)に現在の社殿が竣工したそうです。

また、境内には泰名稲荷神社と安倍晴明の父の保名の名を付けた稲荷神社も祀られています、安倍晴明と稲荷社はその葛乃葉伝説との関わりもあり関連付けられて祀られていることも多いですね。

現在の境内には安倍晴明の等身大の銅像が建ち、「産湯井の跡」(晴明の産湯に使われた井戸)、「葛之葉霊狐の飛来像」、「安倍晴明誕生地の石碑」等が設けられています。

戦時中には、境内に空襲の焼夷弾が落ちたそうですが爆発せずに済んだために、本殿は被災をまぬがれたそうです。

このために、地元では「晴明さんが守って下さった」と評判になり、以来災難除けの神様としても信仰を集めていると言います。

最近は安倍晴明人気もあり、遠方からも若い方が参拝に来られることも多いようです。
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